<3696>「所感(239)」

 積極性にまた向かう旅。

 

 ここ1、2年くらい、私の弱点を極大映しにしたような人に、2人会っている。

 

 いずれも仕事で近い人で。

 

 1人は、「自己破壊」を徹底的にする人。

 

 もう1人は、「内向、自閉」をする人。

 

 お前が、あるときは陶酔とともに抱きしめるその特徴たちは、外から見た場合、こうだぞ、と私に言わんばかりに。

 

 立て続けに出会っている。

 

 私に、変わる必要がある場所を、明確に示すかのように。

 

 

 幼いとき、何も考えていないから、どんどん積極的に動いた。話した。

 

 そうすると、人が、ぞろぞろついてきた。感心していた。

 

 私は、何かを超越してる訳でもなければ、正解を知っている訳でもないのに、ただの積極性が、人を思うとおりに動かし、感心させえるという目の前の事実に、つまずいた。

 

 人間は、自分の得意なことでつまずくとは誰かの言。

 

 自分のなかの力、積極性を、私は、扱い切れないと思って怯えた。

 

 実際に害もなした。

 

 

 それからは内向した。内界に集中した。

 

 大きなエネルギーを、逆に向けた。

 

 面白いように結果が出た。

 

 何か分からないこと、つまずくことがあっても、自分で内界に集中して、全て処理すればいい。

 

 そうやって切り抜けてきた。

 

 

 今度は逆に、これまで内界に集中して大きな結果を得てきたことに、つまずいている。

 

 分からなかったり、突破できなかったりしたとき、周囲にいる人、あるもの、使えるものは全て使って、協力を仰いで、知識を交換して、とやった方が、物事は先に進む。

 

 しかも、早く進む。

 

 それは分かっていても、長年の内界への集中、それでひとりで乗り切ってきた癖がなかなか抜けず、戸惑う。

 

 もがいたまま、その場を動けなくなることが増えている。

 

 

 積極性に害があると知って内界へ舵を切った人間は、その積極性の悪を包容しつつ、どちらか一方に傾くことのつまずきをも知りつつ、また積極性を、静かに受け容れ直す必要がある。

 

 

 仕事って、どんな種類のものだろうと、自分も含め、周りの人も、ある意味で割り切っていて、ドライな空気が流れている場所だ。

 

 でも、直面する課題は、それとは逆に、いつも、自分という人間の核に関わる課題であるのがとても不思議だ。

 

 私という人間自体が、いつもまるごと問われている。