<3688>「所感(235)」

 当てが外れてニコニコしてしまった。

 

 おじさんですねえ。

 

 当てが外れてニコニコしてるようではもうおじさんなんですよ。

 

 期待通りであったり、思い通りであったり、というのにもう飽きてしまったんだろうなあ。

 

 当てにしていた時間がなくなって、ふっと浮かび上がる余裕というか、空白の方が楽しみになってきてしまいました。

 

 

 仲の良い友達が昔よく、楽しい時間があったらもうその後にすぐ死にたいって言ってて。

 

 その後の落差がきついというか、さびしいから、楽しさの絶頂で死なせてくれってことだと思うんだけど。

 

 当時は、大袈裟だなあアハハと、冗談だと思って愉快に笑ってたけど。

 

 段々自分にとってもそれが冗談じゃなくなってくるというかでね。

 

 楽しいことって、いっぱいあるんですよ。

 

 歌も楽しいし野球も楽しいし、友達と会って話すのも楽しいし、性も楽しいし、飯も楽しいし。

 

 書くのも、仕事も、大変だけど楽しい。

 

 でも人生って、沢山楽しいのに。

 

 だからどうしたの?って感じでまた明日が淡々と現れてくるんですよね。

 

 何の気ないようだけど、この、だからどうしたのっていう平然とした空気に出会うたび、上述の仲の良い友達の言葉を思い出す。

 

 楽しい瞬間に、死ねたらいいよなあ。

 

 人生って、どうも楽しい瞬間に終わらないらしい。

 

 楽しい瞬間がどんどん流れて、それがどうしたのって空気のなかを生きていくのが人生らしい。

 

 内容なんかほとんど憶えていないくせに、急にサルトルの『嘔吐』のことを思い返していた。

 

 カミュの『最初の人間』とかもそうだけど(こちらも内容はほとんど憶えていない)。

 

 どんなにネガティブだろうが。

 

 どんだけ暗かろうが。

 

 私は砂漠を生きています。

 

 私が今いるのは砂漠で、これからもそうです。

 

 という表現しか、本当だと思っていない節がある。

 

 最近まともに本なんか読んでいないくせに、こういうところで急に文学という、吹けば飛ぶとしか日常では考えていない/考えられていない存在の、重みを突きつけられる。

 

 あなたって、生きていて楽しい?

 

 前にもどっかで何回か書いたけど、中学校の同級生の女の子の、このセリフが私の中心を占め続けている。

 

 私はいろいろな経験をしました。

 

 自分のことも少し知りました。

 

 だから楽しいこと、今はいっぱい持っています。

 

 それでも私は砂漠の中にいます。

 

 カラカラにかわいています。

 

 楽しいことがどんなに沢山積み上がっても、やっぱり私が居る場所は砂漠です。

 

 これが人生ではなかろうか。

 

 それとも、これ以外であり得るのだろうか。

 

 それは、自分で生きて確かめていくしかない。