当てが外れてニコニコしてしまった。
おじさんですねえ。
当てが外れてニコニコしてるようではもうおじさんなんですよ。
期待通りであったり、思い通りであったり、というのにもう飽きてしまったんだろうなあ。
当てにしていた時間がなくなって、ふっと浮かび上がる余裕というか、空白の方が楽しみになってきてしまいました。
仲の良い友達が昔よく、楽しい時間があったらもうその後にすぐ死にたいって言ってて。
その後の落差がきついというか、さびしいから、楽しさの絶頂で死なせてくれってことだと思うんだけど。
当時は、大袈裟だなあアハハと、冗談だと思って愉快に笑ってたけど。
段々自分にとってもそれが冗談じゃなくなってくるというかでね。
楽しいことって、いっぱいあるんですよ。
歌も楽しいし野球も楽しいし、友達と会って話すのも楽しいし、性も楽しいし、飯も楽しいし。
書くのも、仕事も、大変だけど楽しい。
でも人生って、沢山楽しいのに。
だからどうしたの?って感じでまた明日が淡々と現れてくるんですよね。
何の気ないようだけど、この、だからどうしたのっていう平然とした空気に出会うたび、上述の仲の良い友達の言葉を思い出す。
楽しい瞬間に、死ねたらいいよなあ。
人生って、どうも楽しい瞬間に終わらないらしい。
楽しい瞬間がどんどん流れて、それがどうしたのって空気のなかを生きていくのが人生らしい。
内容なんかほとんど憶えていないくせに、急にサルトルの『嘔吐』のことを思い返していた。
カミュの『最初の人間』とかもそうだけど(こちらも内容はほとんど憶えていない)。
どんなにネガティブだろうが。
どんだけ暗かろうが。
私は砂漠を生きています。
私が今いるのは砂漠で、これからもそうです。
という表現しか、本当だと思っていない節がある。
最近まともに本なんか読んでいないくせに、こういうところで急に文学という、吹けば飛ぶとしか日常では考えていない/考えられていない存在の、重みを突きつけられる。
あなたって、生きていて楽しい?
前にもどっかで何回か書いたけど、中学校の同級生の女の子の、このセリフが私の中心を占め続けている。
私はいろいろな経験をしました。
自分のことも少し知りました。
だから楽しいこと、今はいっぱい持っています。
それでも私は砂漠の中にいます。
カラカラにかわいています。
楽しいことがどんなに沢山積み上がっても、やっぱり私が居る場所は砂漠です。
これが人生ではなかろうか。
それとも、これ以外であり得るのだろうか。
それは、自分で生きて確かめていくしかない。