<3675>「所感(229)」

 反省も、実際に意味を成すというか、大事なのはコミットし続け、改善する、良き方へ変化することであって、申し訳なさそうなポーズをし続けることではない。

 

 それでも、何かしらのミスがあったとき、他人が見ている間、あるいはもう見ていないプライベートの時間でさえも、申し訳なさそうなそぶりをし続けてきたのは、そうすることで誰か、自分より大きなものから、大目に見てもらおうとしてきたからなのだろう。

 

 そうしないと生きる許しを得られないとでも言うように。

 

 迷いから覚めたあとは、それらを滑稽だったなと思うが、リアルタイムでは必死も必死だった。

 

 申し訳なさそうな顔を必要としていたのは他者ではない、自分自身だ。

 

 そうした姿勢を取り続けることで、全てが賄えると思い込んでいた。

 

 縋っていた、と言った方が近いかもしれない。

 

 今は、何か自分より大きなものの許しが得られなければ生きられない、などという感覚はどこかに抜けてしまった。

 

 なので、ただ反省と言ってもただ機械的に、改善の道筋には何が必要になるかを考えるだけ。

 

 申し訳なさそうにして許しを得ようという姿勢はどこかに消えてしまった。

 

 私を産んだものは神ではなかったし、私も神ではなかった。

 

 ただの、生活する具体的な人間。