<3673>「所感(228)」

 日課って、よくできた他人だなって。

 

 この前、以前の職場の人と飲んだとき。

 

 一人暮らしだと、生活のリズムが崩れてくるよね、家族がいればまた違うけどって話が出て。

 

 私も一人暮らしだから確かに、と思うところはありつつ、なんでかそこまでぐしゃぐしゃに崩れはしないな、おかしいなと思っていたのだったが。

 

 日常に、複数の他人を抱え込んでいたんだ。

 

 日課という他人。

 

 これは知らず知らずの戦略なのかな。

 

 毎日すると設定しているのは私だけど、私そのものではないので、ひとつひとつの日課に対して、付き合うという感覚でいる。

 

 続けていると、付き合い続けているという感じになる。

 

 よくできた他人だという意味は、付き合う時間も、回数も、濃度も、設定しているのは全て自分だから。

 

 ただそれでも私そのものではなくちゃんと他人だから、ままならなさ、重さもある。

 

 例えば家族とか友達とか知り合いとかと会うとき、絶対やるって決めてる日課はやってから会うけど、まあ何にもなければ毎日やるよ、ぐらいの日課は後へ回したりするから、現実の人間とで天秤にかけている存在という意味でも他人って感じが合う。

 

 付き合いだから、どこかに到達するためにやっている訳ではなく、付き合いっていうもの自体がなんなのかをなんとなく探るような。

 

 どっちかっていうと到達より味わい、味わうに近いのかな。

 

 そんな気がする。