<3654>「所感(219)」

 今にしてやっと他者が他者として明確に輪郭をもって立ってきたなあという感慨がある。

 

 他者の輪郭が曖昧だったかつて、よくやっていた間違いに。

 

 自分が調子を整えれば、機嫌よく好意的に接していれば、相手は自分に良いように反応してくれる、動いてくれるという思い込みをしていたことが挙げられる。

 

 自分の気持ちひとつ、入れ替えひとつが他者を含む外界をも操作し得ると考えていたということで、迷いから覚めて振り返ると、すごくこわいものの考え方だなと今は思う。

 

 何で自分は気持ちを持ち上げたり変えたりしているのに、他者はそれに沿ってくれないのだろう、ということだから、これはこわい。

 

 他者は他者の事情のもとに、今現在そこで現象しているだけなので。

 

 私の気分が幾ばくかの影響を仮に与えることがあったとしても。

 

 どういう気分で現象するかはその人次第であるということが、頭だけの理解ではなく急にくっきりとした事実として掴まえることができるようになってきた。

 

 だからといって、私は不機嫌を選択しない。

 

 それで相手になんとか和らいでほしいから、とかではなく、自分自身が生きていく姿勢をそこに置くというだけ。