<3630>「所感(207)」

 『へうげもの』で、丿貫さんが茶の名器など、そういう名前のいちいちが煩わしくなって、一切名器なんか放り出してしまったと述懐するようなくだりが確かある。

 

 同じようなことが、私は言語の上で起きているのかもな、と感じる。

 

 弁明としての言語みたいなもの。

 

 これをするのが人生だとか、世間ではこれが人生だと思われているけど、逆にこれこそが人生なんだとか。

 

 あらゆる出来事をポジにネガに脚色してみたりだとか。

 

 なんか人生の法則を発見しただとか幸せってこういうことなんだな、みたいな。

 

 言語を使用してのそういう弁護性、見いだし性、価値づけみたいのが全部うるさく感じるようになってきた。

 

 良いよ、もう、言語の上のポジもネガも。

 

 どれが人生でも良いよ。

 

 やろう、お前がやること。

 

 という気持ち。

 

 ものを書く上でこの気持ちがプラスなのかマイナスなのかそれは分からない。

 

 でも、良いよ。

 

 書いて生きるだけだから。

 

 死ぬ日が書く日でもあったという生を目指すだけだから。

 

 死を早めるのではなくね。