<3628>「所感(206)」

 ちょっと早いかもしれないけど、私は中年なんだなもう、と思う。

 

 もしくは入口。

 

 人生や現実に対して、感動していた部分、感じやすすぎた部分がなくなって。

 

 別に、成功しても、失敗しても、何も起きていない時間も。

 

 あら、そうなの、としか思わなくなっている。

 

 やる気も、やる気のなさもない。

 

 前にもちろっと書いたけど、古井由吉さんが例えば書くこと何にもなくなってからが勝負だって言ってる書いてる。

 

 それを、書く内容がなくなるってことだよね、ぐらいの理解で終わらせていた昔の自分はとっても浅かったことを思い知る現在。

 

 書く内容がなくなるぐらいのことならとっくに経験してるよ、って得意になってた。

 

 甘かった。甘ちゃんだった。

 

 そうじゃなくて、書くにあたって随分頼りにしてた感受性だとか、人生に対する意気込み気持ちとか、喜怒哀楽とか、そういうものが全て落ちていく、あるいは新奇性がなんにもなくなっていく。

 

 そういうことも、書くことがなくなるの、なくなるのうちに含まれていたんだ。

 

 これは中年の入口に実際になってみないと気がつかないことだった。

 

 

 時々脳の編成が変わったなあと気がつくことがあるんだけど。

 

 それのうちの大きな変化がここ5月から8月ぐらいの間に起きた。

 

 完全に若者の部分が自分から落ちる期間だった。

 

 中年の部分がぐぐっと前面に迫り出してきた。

 

 多分この何にも思わない人間が新たに出現してきたなかで、比較的大きなことを得、大きなものを失っていく予感があるが、別にだからといってそれがどうということもないのだと感じている。

 

 裸の人生。裸の道。吹きっさらし。

 

 そういう場所についに来たことに対する感慨も特にない。

 

 感じやすさに頼ってきた書き方というのが、ごっそりと抜けてだめになる。

 

 無感動のまますーっと静かに驚いている。

 

 他の書き方が必要だ。