<3624>「所感(204)」

 反省したり、悩んだりっていうポーズを取ることで、誰にかは分からないけど誰かに大目に見てもらおうとしてたんだな、ずっと、っていうのが分かって反省とか悩んだりすることももう済んだというか心底飽きてしまった。

 

 自分になのかな。分からない。

 

 上手くいかなかったら、次は上手くいくようにやるだけであるので、何やってんだろ、とかを思い悩む時間はあまり意味がない。

 

 というか、その意味のない時間を沢山やりすぎた。

 

 結果、もういいよそれ、となっている。

 

 

 こんなにちっぽけな、無力の個人が社会の荒波に揉まれながらも戦っています、みたいな物語があると、ああ、それは俺ではないな、と思う。

 

 それが良いことなのか悪いことなのか。

 

 健気な、美しい、善良な、懸命に生きた、みたいなあの物語。

 

 あそこに登場するのは私ではない。

 

 どこでどうズルをしようか考えていたり、快楽を簡単に得たかったり、人のことを何とも思わない時間があったり。

 

 そういう悪が備わっていることが前提で、じゃあなおその上で、人間の形を自分自身にさせるにはどうしたらよかろう、と考えて振舞いに気をつけている、という方が自分の実情に近い。

 

 毎日を必死に生きる善良な人間というふれこみにはどう頑張ってもあてはまらない。