<3604>「所感(194)」

cardtrade1.hatenablog.com

 

 今現在関わっている人がたまにポンっと投げる言葉が、意外に芯を貫いていくことは多い。

 

 焦んなよ。

 

 私は、分からないこと、どうやったら出来るようになるのかが分からないものがあると、それをほどくために異様に夢中になる。

 

 ぐいぐいやっていく。

 

 結果、思いの外はやくほどけて、拍子抜けしてしまう。

 

 自分としてはものすごく濃い時間を過ごしたつもりで、実際はまだ1~2年しか経っていなかったりする。

 

 という、仕事をしていく上での、「姿勢のミス」を何度も繰り返してきた。

 

 今また、ちょっとエンジンがかかりすぎて、拍子抜けの香りがちょっとずつし始めたところでの、何気ない周りからの焦んなよ、が私のなかでとても大きな響きを持った。

 

 生きていく上で、上述したような、分からないものをほどくために夢中になる、を原動力にしてやっていく、「攻略」の姿勢に、ちょっと限界が来ていると感じる。

 

 攻略する内容は違えど、準備と手順とはそんなに変わらないということが、様々な経験から推測されるようになり、攻略のし始めからもう先が見えてしまうようになった。

 

 だから、何かを攻略することを喜びに動くのはもう難しい。

 

 ひとつの壁にぶつかっている。

 

 続け方に関する、発想の転換が必要だ。

 

 

 仕事だけでなく、それは実生活でも全て同じで。

 

 例えば、時間の使い方だったり、身体の元気⇔だるさだったり。

 

 こういうものを煮詰めていって、攻略してやろうという姿勢であたるとする。

 

 すると、ある程度自分の思い通りになる。つまり攻略できる。

 

 しかし身体は、その攻略を、余裕で受け容れて、新たな前提として消化してしまう。

 

 呑み込んでしまう。

 

 こちらから攻略をしかけたはずのものが、前提として呑み込まれてしまって、私は今度その前提に苦しむようになる。

 

 身体と、それを攻略しようとする私との関係は、ちょうどお釈迦さんと孫悟空との関係のそれのようだ。

 

 どんなに先へ出たと私自身が信じても、身体のその圧倒的な包容力、影響圏から、私は一歩も外に出ることができない。

 

 壁にぶつかっている。

 

 攻略というものを頼りに生きてきた、私の生き方自身が、壁に。

 

 仕事にしろ、私生活にしろ、人生全般にしろ。

 

 攻略でやっていくのはもう手詰まりなのかもしれない。

 

 「人生は意外と長い」(意外と長い・・・意外と長い・・・意外と長い・・・)