今現在関わっている人がたまにポンっと投げる言葉が、意外に芯を貫いていくことは多い。
焦んなよ。
私は、分からないこと、どうやったら出来るようになるのかが分からないものがあると、それをほどくために異様に夢中になる。
ぐいぐいやっていく。
結果、思いの外はやくほどけて、拍子抜けしてしまう。
自分としてはものすごく濃い時間を過ごしたつもりで、実際はまだ1~2年しか経っていなかったりする。
という、仕事をしていく上での、「姿勢のミス」を何度も繰り返してきた。
今また、ちょっとエンジンがかかりすぎて、拍子抜けの香りがちょっとずつし始めたところでの、何気ない周りからの焦んなよ、が私のなかでとても大きな響きを持った。
生きていく上で、上述したような、分からないものをほどくために夢中になる、を原動力にしてやっていく、「攻略」の姿勢に、ちょっと限界が来ていると感じる。
攻略する内容は違えど、準備と手順とはそんなに変わらないということが、様々な経験から推測されるようになり、攻略のし始めからもう先が見えてしまうようになった。
だから、何かを攻略することを喜びに動くのはもう難しい。
ひとつの壁にぶつかっている。
続け方に関する、発想の転換が必要だ。
仕事だけでなく、それは実生活でも全て同じで。
例えば、時間の使い方だったり、身体の元気⇔だるさだったり。
こういうものを煮詰めていって、攻略してやろうという姿勢であたるとする。
すると、ある程度自分の思い通りになる。つまり攻略できる。
しかし身体は、その攻略を、余裕で受け容れて、新たな前提として消化してしまう。
呑み込んでしまう。
こちらから攻略をしかけたはずのものが、前提として呑み込まれてしまって、私は今度その前提に苦しむようになる。
身体と、それを攻略しようとする私との関係は、ちょうどお釈迦さんと孫悟空との関係のそれのようだ。
どんなに先へ出たと私自身が信じても、身体のその圧倒的な包容力、影響圏から、私は一歩も外に出ることができない。
壁にぶつかっている。
攻略というものを頼りに生きてきた、私の生き方自身が、壁に。
仕事にしろ、私生活にしろ、人生全般にしろ。
攻略でやっていくのはもう手詰まりなのかもしれない。
「人生は意外と長い」(意外と長い・・・意外と長い・・・意外と長い・・・)