<3602>「所感(193)」

 詩をやるなら詩ばかりを書くのではなく、同時に批評もやりなさい、という誰かの教えをどこかで見た。曖昧。

 

 私はそんなに人の作品に夢中になれないから批評はちょっと性分に合わなかった。

 

 「詩と批評」ならぬ「詩と所感」

 

 この行き来が今のところ一番しっくりくる。

 

 非言語と言語の往復。

 

 非言語が私のなかで優位、それは言葉のもてあそびが楽しいというプラスの面を大きく上回り、言葉に対する強いこだわり、それも拒否に近いものがあるから、これだけ非言語が膨らむのだろう。

 

 しかし、非言語だけでは社会人でなくなってしまう。

 

 伝える、説明する、考えるという運動を、詰めていくという営みがなくなってしまえば、非言語の渦のなかで社会性はバラバラになるだけだ。

 

 じゃあきちんとした説明、伝える、考えるという営みだけがあればいいか。

 

 それだけだと私は人間でなくなってしまう。

 

 言葉の拒否、言葉との遊びがなければ窒息してしまう。

 

 非言語と言語が、私のなかで、緊張を保っている。

 

 そのバランスが崩れないように、緊張しておく。

 

 非言語はいつも言語に対し、意味が通ること、伝わることを理由に、憤っている。

 

 意味が通ること、伝わることに対し、恥ずかしがっている。

 

 言語はいつも非言語に対し、その量の多さ、意味の通らなさを理由に、戸惑っている。

 

 何故こんなものが溢れなければならないかをいつも疑問に思っている。

 

 その往復のなかに居るのが生だ。

 

 それは私の生だ。