<3593>「所感(189)」

 やる気に頼らない。

 

 習慣でやる、目的本位でやる。

 

 というのを、気分には波があるから、それによってやるやらないを変えないようにね。

 

 ぐらいの理解度で把握していたんだけど。

 

 そもそも、何か新しいことを身に着けたり、脳に刻んでいく作業は、不愉快で、苦痛なものなのだ。

 

 だから、新しいことを身に着けはじめるとき、やる気があるとかないとかの前に、やる気というのは、削がれるだけ削がれるものとして存在する、ということをまず把握しなければならない。

 

 そして、この不愉快のなかで物事を進めること、この不愉快のなかから出ることはできないことを承知し続けることから、生涯勉強の姿勢は始まる。

 

 何故そんなことまでして生きるかというと結局そのストイックさの快楽が1番大きいからだ、という矛盾もまたある。

 

 どういうことかというと結局、分からない分からない不愉快だ、この状況を抜け出せたら最高なのに、と思っていても。

 

 本当に理解が進んで不愉快なゾーンを脱出してしまったら、しばらく気持ち良かったあと、また結局次の段階の不愉快を求めている自分を発見しているのが常なのだ。

 

 生涯勉強していきたい、というのは、ある意味不愉快中毒なのかもしれない。

 

 理解できなくて、不愉快で苦しい、なんとかして理解したい、という枠のなかで生きたいという。