言われたこと、起こったことに対する、過剰な意味づけ、価値づけをしなくなった。
というより、そうやって過剰に盛り上げたり、盛り下げたりして、現実を脚色したあとでなければ、現実を生のまま受け取れないという時期が過ぎたのだと思う。
ああ言われたのはこういう意味だ、こういうことを思ってくれているからだ、考えてくれているからだとか。
きっとこういうふうに思われているんだ、嫌われているかもしれないとか。
起きてもいないことを勝手に、時にポジティブに時にネガティブに脚色して、想像込みで記憶することを、間違いだとはずっと知っていたけど、今まではそのモードが自動で起動してしまっていて止められなくて。
でももう大分脚色に飽きたのと、現実に起きていないことを勝手に想像して盛り上げたり盛り下げたりしても意味がないことに段々身体込みで気がつき始めたのだと思う。
今は割とすっきりとした、整理の取れ始めた世界に居る。
あなたがやっているのは人生なのだから勉強だけをするなよ。
というのも人から指摘されて初めて気がつくけど、多分気抜くとすぐ勉強ばっかりになってるっぽい。
近藤康太郎さんの教え通り、歯を食いしばって遊ぼう。