<3508>「所感(147)」

 誰かに遠慮しなくなることは、決して暴力的になることではないんだ。

 

 そうではなくて、私という人間がしたかったり、向かいたい場所が明確になり、自分にとっても他者にとっても、分かりやすい人間になるということなんだ。

 

 もうひとりで暮らしてそれなりになるけど、何かを取捨選択するとき、

 

 本当にいいの、とか、勿体なくない、とかの他者の声が完全に聞こえなくなってきたのは、ごく最近だという気がしている。

 

 自分で、付き合いを続けるか続けないかを決める。

 

 

 家にあるもので、過剰なものは、心配と、未練を背負っている。

 

 だから少しずつ、心配と、未練を減らしていく。

 

 そして当然その行為は清々しい。

 

 私は二畳の茶室に宇宙を見る世界観とともにありたい。