誰かに遠慮しなくなることは、決して暴力的になることではないんだ。
そうではなくて、私という人間がしたかったり、向かいたい場所が明確になり、自分にとっても他者にとっても、分かりやすい人間になるということなんだ。
もうひとりで暮らしてそれなりになるけど、何かを取捨選択するとき、
本当にいいの、とか、勿体なくない、とかの他者の声が完全に聞こえなくなってきたのは、ごく最近だという気がしている。
自分で、付き合いを続けるか続けないかを決める。
家にあるもので、過剰なものは、心配と、未練を背負っている。
だから少しずつ、心配と、未練を減らしていく。
そして当然その行為は清々しい。
私は二畳の茶室に宇宙を見る世界観とともにありたい。