<3506>「所感(146)」

 若年期と比較して、勉強に粘りが出てきた。

 

 若年期は、分からないことは恥ずかしい、だめみたいに思ってたから、分からない領域にぶつかると、すぐ冷や汗かいてたんだけど。

 

 今はもうそういうんじゃなくて。

 

 分かんなかったら分かるまでじりじりと押してこう、今分かんなくてもいいから付き合うだけはずっと付き合っとこう、いずれ分かるよね、っていう、図太いスタンスになってる。

 

 年の功。

 

 

 時間的金銭的に余裕があるなら、きっちりと良い思いをしておくのは大事だなと思った。

 

 というのも、いろいろなところで良い思いをしておくと、自分に対して、

 

 こいつのどこがかわいそうなんだ? かわいそうもくそもなくねえか?

 

 てな感じで、するっと被害者意識から抜けられて良いからだ。

 

 だから余裕のあるときにどんどん良い思いをしよう。

 

 

 本に対して、片付けしながら、少しずつ考え方が変わってきた。

 

 これも若年期と比較すると。

 

 若年期は、買ったものは絶対に手放したくない、面白かろうが面白くなかろうが全部、最初から最後まで読む、みたいな感じで力み返ってた。

 

 今は、買ったものの合わなかったり、一部分しか読まなくて良かったりということは当然ある。だから一部だけ読んで捨ててもいいし、買ったけど読まなかったとかも普通に起こり得ることだから読まないまま捨ててもいい、と思ってる。

 

 未練を断つこと。

 

 んで、いずれ読むだろう本も、別に廃刊とかになってるわけじゃなければ、手元に常に置いておかなきゃいけない理由も特にないね、何のために読書メーター入れたんだ(積読とかをバーチャルで管理できると思って入れ始めたんだった)、と思い始めてる。

 

 本って読むの時間かかるから、置いとくと旬が過ぎててもう読まないよね、ってなっちゃってることも多い。

 

 だから今読むよってタイミングで買って、全体がいらなければ一部だけ読んでもいいし、やっぱり一回も読まなくてもいいし、全部読んでもいいし、ってな具合で、もっと自由に付き合っていいものなんだ。

 

 本に関しても強迫的な部分が少しずつ抜けてきた。

 

 

 脳の編成が最近また少し変わったような気がする。

 

 ぴゃーぴゃーあほみたいなはしゃぎタイムみたいなのが、極端に減ってる。調子に乗らなくなった。

 

 あと、理由のわからない変な焦りみたいなのもぐんと減ってきた。

 

 覚悟が決まった感がある、それは現実に積極的に入るってことなんだけど。

 

 そうすると脳の方でもそれに合わせてるのか大分落ち着いてきたような感じ。

 

 因果関係が逆かもわからんけど。それはちょっと何とも言えない。

 

 今自分が持っているものを、ゆっくりと押していく以外に生ってないんだよね。