<3459>「所感(124)」

 やっぱり私はあの、端から見たら馬鹿げてても滑稽でもなんでもいいから。

 

 命賭けて毎日生きるのがすごく性に合ってる。

 

 今日本当に死ぬかもしれない、生きてるうちに世界一になるって意気込んでたって明日にはもう手が動かなくなっているかもしれない、ってことを前提に容れて初めて。

 

 ああ、本当に生きているんだなって感じがする。

 

 周りの人がそんな風に生きる必要はない、というのは承知の上で。

 

 私が場合によっては力み過ぎ、大袈裟過ぎっていうのは承知の上で。

 

 そう生きたいし生きる。

 

 

 だから、危険なことにも飛び込むし、真剣だ。

 

 今日大丈夫でも、明日はダメかもしれない。

 

 でも、そういうものを含んで一日一日真剣に生きているのが人間てものじゃないですかしら。

 

 だから、しっかり出会うし、しっかり別れる。

 

 今日生きて会えたことは、無数の輝きを持っている。

 

 

 死んだらしょうがないけれど、生きてる限り私は必ず一歩先へ進む。

 

 私のテーマだ。

 

 湯川秀樹さんが大好きで湯川さんの言葉から大分もらっている。

(一日生きることは一歩進むことでありたい)

 

 

 私が明日死んだら、ここを見てください。

 

 私はいつも真剣に生きていますし、いました。

 

 

 そうすると、明日死ぬかもしれないとすると、ちょっとまだとか、それは保留とか、そういうのもないんだよな。

 

 やりたいこと、獲りたいもの、全部掴みに行く。

 

 全力で愛する。

 

 人を容れる。

 

 そういうふうに生きていく。

 

 もう私にあまり時間がないとしたら、そういうふうに生きていく。

 

 あまり時間が残されていないつもりで、毎日生きていく。