自分を構成していたものが大きく動いて、新しい挑戦も複数起こって、という状況で。
私という意識は自然に、家族や、昔なじみの友達へと向く。
自分が大きく変化して、どこにいるのかがよく分からなくなるときに、昔からの私を知っている存在に連絡を取れて、会えることが、これほどの大きい意味を持って来るとは。
若い頃は想像だにしなかった。
そういう存在がいるのはありがたいことです。
職場を去ったらもう会えない、というときの「会えない」は。
職場に来なくなるから会えない、という意味だけではなく。
仮に辞めた後、連絡を取って会っても、よっぽど人間的に共鳴しているとかでもなければ、会っても話すことがない、という意味までを含んだ「会えない」なんだ。
だから、余計に切ないというか。
仕事がなくなる、変わっちゃうと、この人と話す内容自体がなくなってしまうんだな、という類のさびしさもあるんだ、ということを学ぶ。