どうしようもない焦燥感って、決着をここらでつけないと、という衝動からどうやら来ていたっぽい。
大分薄れてきたけど。
やっぱり死のことを考えると、あるところで観念せざるを得ないというか。
どうしたってこわすぎて、自分で死んだりなんかできない。どこに行くかも定かではないし。
私はそういう意味ではかなりビビりだ。
談志師匠が晩年に殺してくれとよく言っていたけど、一刀のもとにスパッと切り捨てられたら確かに楽だよな、とは思う。
そうすると、どうやったって生きなければならない。
死ぬのはこわすぎるから。
思っているより以上に、負けず嫌いで、悔しいという気持ちが強すぎるから。
生きていく理由なんて、ただそれだけでいいのかもしれない。
金と電気と身体。
どうしても生きるしか道は残されていないなら、楽しかろうが楽しくなかろうが、どこへ出ても大丈夫な人間に、自分で自分を育て上げるしかない。淡々と。
そう観念すると、生活力を鍛えよう、社会力を鍛えよう、コミュニケーション能力を鍛えよう、という覚悟がすっと、無理なく決まってくる。
金が世の中からなくなることはまずない。
→簿記を入口に。淡々と先を見据えて。
電気がなくなることはまずない。
→専門家へと。プロへと。
身体がなくなることはない。
→身体のことについて学び続ける。