<3379>「所感(85)」

 どうしようもない焦燥感って、決着をここらでつけないと、という衝動からどうやら来ていたっぽい。

 

 大分薄れてきたけど。

 

 やっぱり死のことを考えると、あるところで観念せざるを得ないというか。

 

 どうしたってこわすぎて、自分で死んだりなんかできない。どこに行くかも定かではないし。

 

 私はそういう意味ではかなりビビりだ。

 

 談志師匠が晩年に殺してくれとよく言っていたけど、一刀のもとにスパッと切り捨てられたら確かに楽だよな、とは思う。

 

 

 そうすると、どうやったって生きなければならない。

 

 死ぬのはこわすぎるから。

 

 思っているより以上に、負けず嫌いで、悔しいという気持ちが強すぎるから。

 

 生きていく理由なんて、ただそれだけでいいのかもしれない。

 

 

 金と電気と身体。

 

 どうしても生きるしか道は残されていないなら、楽しかろうが楽しくなかろうが、どこへ出ても大丈夫な人間に、自分で自分を育て上げるしかない。淡々と。

 

 そう観念すると、生活力を鍛えよう、社会力を鍛えよう、コミュニケーション能力を鍛えよう、という覚悟がすっと、無理なく決まってくる。

 

 金が世の中からなくなることはまずない。

→簿記を入口に。淡々と先を見据えて。

 

 電気がなくなることはまずない。

→専門家へと。プロへと。

 

 身体がなくなることはない。

→身体のことについて学び続ける。