<3365>「所感(78)」

 今まであまり自分のなかで、今の仕事と次の仕事の別々の線を走らせて、場合によっては今の線が濃くなったり次の仕事の線が濃くなったりで、自分が今どこにいるのか分からなくなるような経験をしたことがそんなになかったから。

 

 大体これまでは、今の仕事はもうじゃあここで終わりです。さて次はって感じで動いてたから。

 

 慣れるまでは変に気持ちが落ち着かなくてちょっと疲れたけど。

 

 今は、次の仕事がどこからスタートになるかほとんど読めない、もしかしたらもうすぐかもしれないし、何カ月か先かもしれないし、それによって今の仕事もどこまで関われるか変わってくるし、という状況にようやっと慣れてきた。

 

 変わらず準備はしておいていざそうなったらすぐ動きましょって感じにようやくなれた。

 

 

 そんなこんなの関連でまあ淡々と、諸々を準備する。勉強もそうだけど。

 

 自分がマシンだったら楽だなとか思うけど、自分はいかんせん心なので。

 

 気分に関係なく淡々と勉強できるということに、「あたる」、ということが起こる。なにこれ。

 

 ふぐ毒にあたるとかのあたるね。

 

 こんなの身につけてもしょうがないんじゃないとか、どうせむなしいよとかは、怠け者の脳の言い訳だと知っているから、その言い訳をききつつ、聞き流して淡々とやるんだけど。

 

 そうすると、拗ねるというか、ふんっ、どうせ私の言っていることは真に受けてくれなくて、言い訳とか言って処理して淡々とまたやるんでしょ、じゃあこっちにも考えはあるからね、みたいな感じでぎゅんと気分が沈んだりすることがある。

 

 仮眠とか本眠とかの件のときも思ったけど、人間ていうのは自分とのいたちごっこをやってんな、と思うことがしばしばある。

 

 淡々と勉強する私と拗ねる私の例もそう。

 

 なんか互いが互いに、なあんコイツ、と思ってる感じがする。

 

 何でこんなに拗ねてんのにそのうえでまた淡々とやんの?

 

 何で淡々とやってるだけなのにそんなに粘着してくんの?

 

 みたいに。