<3353>「所感(72)」

 自身の無関心、一度仕留めると決めたら仕留め切るまでしつこく食いつく加害性を認識する。

 

 すると、嫌われがその二種類から発生するということを受け容れられる。

 

 かつてのように、何で関係なく過ごしているだけなのに嫌われが発生するのだろう、という変な悩みを持たなくなった。

 

 普通こんな場面があったらもっと関心持つだろ、というのが世間一般の基準で、しかし私はそういう場面に出くわしてもほとんど関心を持てない。なので嫌われる。これは当然の筋道なのだ。

 

 

 少しのとても好きな人たちがいて、ほとんどいないけどたまに生涯許さないと決めて仕留め切る人がいて、後の人はほとんどフラットというか、何の感情も抱かない、というのが私の対人関係における気持ちの在り方なんだけど、世間的にはもっとこの人好きとか嫌いとかが多めに発生しているっぽい。友達とか許せない人とか以外でももっと好きとか嫌いとかがある感じ。

 

 だから何で仲良い友達とか生涯許せない敵とかでもないのにそんなに嫌いとかが発生するのかな、て思ってたけど、まあそういうもんらしい。関心をもっと向けるべきと思われていて、それに符合する反応がこちらからはない、というだけで嫌われるのが結構普通のことなのだ。

 

 自分の無関心度合を基準に世間を見てはいけない。