<3341>「所感(66)」

 そう、技術って、ただ磨くものなんだよな。

 

 それによって人生が豊かになるかどうかと、技術を磨くこと自体は何も関係がない。たまたま重なる場合もあるというだけで。

 

 必要だから身につける。以上終わり、のかわいた世界。砂漠的。

 

 技術を磨くとき、怠け者の脳が、これを身につけて何になる、とささやいてくるが、これを身につけて何になる、という問い自体がナンセンスだ。

 

 技術はただ身につけるものであって、何になるかをあてにするものではないからだ。

 

 

 受験期に、今まで嫌いだった勉強に(実情は学校が嫌いなだけだったが)急にハマったのも、その鍛錬の世界が、感傷のない、かわいた世界だったからだ。

 

 やればできるようになり、やらなければできるようにはならない。できるようになったとて、それはそれができるようになったということ以上の意味を持たない。

 

 そういう、無味乾燥な世界だったからこそ異様に惹かれたのだ。

 

 砂漠におけるオアシスではなく、砂漠こそがオアシスであったことに気づいてしまったのが、私の冷たい嬉しい地獄のスタートでありゴールでもあった訳で。

 

 ゴールだという意味は、その世界、技術をただただ鍛錬していくかわいた世界が、私という人間の中心を外れることがないという意味だ。

 

 

 やや脱線するが同じようにかわいた世界であるという理由で私は警察小説やスパイを扱った作品が好きだ。

 

 これらの世界には仕事の遂行だけがあり、個人の幸福や充実が等閑視されている。

 

 等閑視されていることに対する苦さはありつつも、基本的にはいつも、プライベートの側が崩壊し、仕事に対する執着が優先されている。

 

 そういった、かわいた世界でしか上手く呼吸が出来ない人間にとって、プライベートの潤った世界はあまりに息苦しい。