<3315>「所感(53)」

 こんなの見れば分かるよ、書く必要ないよ、写す必要ないよ、と脳はめんどくさがりだから瞬時に判断するんだけど、見てわかるものでもその都度手を動かして写す労を厭わないでやってると、身に付き方が全然違う。

 

 ただ見たのと、都度手で軌跡を追ったのでは明らかに後者の方がよく憶えている。

 

 そうすると難点は時間がかかることだけど、あまり急がなくていい場合は時間がかかっても手で勉強するべきだなと思った。

 

 

 こんなの私には出来ないよ、とか、どうするどうするやってても全然分かるようにならないよ、とか、そういう焦りや妄想は確かに自分のなかにあるのだけど、成長したなと思うのはそれらの焦りや妄想を大分冷静に、客観的に見つめる視線が自分のなかに出来上がっているのを実感するからで。

 

 そうそう、そういう形で焦るよねえ不安になるよねえって言いながら淡々とやる人間が出来上がっていて頼もしい。

 

 不安はなくならないから不安なまま淡々と、一歩ずつ先へ進めればそれでいい。

 

 

 客観的に見つめる繋がりで行くと、何故か私のなかにはいまだに根強く、

 

「試験については全領域を100%カバーしたい」

 

という妄想が住んでいて。

 

 多分学校のテストとかで100点を取ろうとしてた名残りなんだけど。

 

 それがもとで焦ってたり変な妄想をしてたりする。

 

 でもそれを今は、

 

「まあまあ、実際に必要なのは60%なんで。徐々に徐々にパーセンテージ上げてって最終的に65とか70ぐらいにつけば御の字じゃないでしょうか」

 

 と、肩の力が抜けた状態で見てくれている存在も居る。これは頼もしい。