<3305>「所感(48)」

 キャリアを築こうとし始めると聞こえてくる私のなかの悪魔のささやき。

 

 「お前が金を稼ぐのか、またお前が」

 

 生まれた環境的に、お金に困ったことがないどころか、むしろいろいろな経験をさせてもらったことが、シンプルに喜びとしてもあり、ある種の社会に対する無関心としても残り、そして、その上さらにまた自分が稼ぐことを意識することに対する、否認のメッセージとしても届いてくる。

 

 おそらく、変わろうとしている現状に対して、変わらないでいろと願うもう一人の自分から送られてくる、切実な言い訳なのだろう。自分個人がキャリアを取りに行くことと出自の問題は関係ないはずだ。

 

 あともうひとつ、自分にささやいてくる言い訳のパターンは、

 

「キャリアを追っかけて、怪我をしたら、障害を負ったらどうする」

 

というもの。

 

 もちろん可能性としては十分にあり得るけど、もしそうなったらなったでその出来事に沿った人生に軌道を変更せざるをえないだけの話だし、今の自分がキャリアを追わない言い訳には到底なりえないはず。

 

 何かを負う可能性があるのと同様に、何も自分の身に起こらないままの可能性もあって、もしそうだった場合にキャリアを追っていなかったら何も起こらなかったし何も進まなかったってことになる。

 

 だから、当然軌道修正の可能性というものは内に含まれながらも(人間も生き物で弱い個体にすぎないから)、そういうことが起きなかった場合のことも考えて当然キャリアは見据えていく必要がある。

 

 

 まあ、慣れないことをやっている関係もあって心がグラグラ揺れているのだろう。それでいろいろな妄想が出てくるという状況にある。