私はひとりだ。
しかし、現実は複数だ。
その現実に沿って生きていると、私が複数であるように錯覚する。
複数でないとおかしい。
複数でないと、これらは無理なのではないかと感じる。
そこで、事故が起こる。
私の時間も、空間も、私の身体に縛られていることを知る。
私はひとりだ。
複数ではない。
私は、自分が複数であることを当然のように考え、日々のなかに、様々な線を張っている。
それは、通常上手く行く。
それが、厄介だ。
私はひとりだ。
それに気づいたところでどうだろう。
私はひとりだと考える方が無茶なような気がする。
それは、私が元気だからだ。
死や事故、病気は、その反対を知らせる。