<3268>「所感(30)」

 人間は3分の1眠っているのだから、もともと全体の3分の1くらいは何もしたくないし、やる気がないのが普通なんじゃないか、という感想を書いた。

 

 20代と、30代になったばかりぐらいの時期は、やる気100、楽しい100を夢見てた時期だったな、と思った。

 

 それで上述3分の1の感慨にいたり、その夢破れ、というか当たり前に落ち着いたような気がしている。

 

 やる気100、楽しい100は、休みとか、気抜けの否定だ。

 なので当たり前にある3分の1のやる気なさがちょっと顔を出しただけで、自分は駄目なやつだと思ったり、落ち込んだり、そんなはずはないと思って無理してテンションを上げたりしていた。

 

 当たり前だがそれを続けていれば燃え尽きてしまう。

 

 精神的肉体的に燃え尽きないための、3分の1のやる気のなさだし、お休みだ。

 

 当たり前にそれを自身のなかに組み込むこと。やる気のなさを含むこと。

 

 それから3分の1であるということをしっかり掴まえるのが大事で、自分のなかに3分の1のやる気のなさがあるからといって、自分は駄目なやつだと思ったり、なんて怠惰なんだと責めたりするのは、3分の1しかないやる気のなさを過大評価して、100近くだと思い違いしていることになる。

 

 大体やる気も、楽しいも、気分のなかで3分の2ぐらいあれば上々なのだ。仕事も遊びも。

 それより多いとちゃんと反動が来るし、そこで100を得ようと思うと、酒だドラッグだギャンブルだ、となる気がする。

 

 楽しい時間でも、3分の1はしっかりつまらないんだというのを掴む。

 そうすると楽しいことに期待しないし楽しい時間のなかにつまらなさがあっても何も思わないからことのほか楽しい。