<3264>「所感(28)」

 「好かれない」というフェイク。

 そうじゃなくて、好かれるという事実が幼少期からずっと、何故か受け入れ難いだけ。

 

 だから、自分を好かない人を、実はその自分の偏った妄想を補うために、利用し続けている。

 反対に、好いてくれる人とか時間とかを、すーっとまるごとなかったことにしてしまう。

 

 仕事とか勉強とか、何かを建設的に進めようとするとき、一見何も関係なく思えるこの問題がぐぐっと前面にせりだしてきて、身体の全てが脱力するようなことが起きる。

 キャリアの積み重ねも、人との関係の深まりも、途中に心的ブレーキが挟まる。

 

 これが進んだから何なの、好かれない(好かれたくない)のにって。

 

 でももうみっともないけどこの長年付き合ってきている変な妄想を、克服したい。

 

 何故病的に好かれることに対するおそれ、おぞけ、猛烈な拒否があるのか。

 

 幼少期からだから具体的な何かが起きる前、というか、まだ自分もはっきりしない段階に何かがあったのだろう。

 

 およそいい大人が抱えるような悩みではなく、幼くて、馬鹿げていて、恥ずかしいのだけど、多分これは自分の核のひとつ、核の問題のひとつだから、人生全般において大きな引っ掛かりであり続けている。

 

 好かれることの拒否、遊びと称する自己破壊的な蕩尽など、ゴミ屋敷とかそういったものとはまた別の、これもネグレクトのひとつだなと。

 

 自分はなぜ自分に無視されなければならないのか。