<3223>「所感(9)」

 一皮剥けるためにやらなきゃいけない、と思ってやってみることには意味がある。

 が、好みの向くままにやってきたことに比べれば当然楽しみの差がある。

 自分という人間を変更しよう、幅を出そうとしているときに、しかも無条件で楽しみを享受したい、なんていうのは虫が良すぎる話な気がする。

 

 面白いか面白くないかは置いておかないと、やったことないことを一回やってみるのは難しい。

 だってもう自分が楽しめることは大体知っているから。

 マイナスのフィードバックで全然良いので、そういうものを得るためにどんどん知らないことをやる。

 

 自分が面白いことだけやろうと思ったら、例えば書く、勉強する、歌う、トレーニングする、本を読む。

 →全部家で完結する。幅が出ない。

 →これだけ楽しみを持ててることはむちゃくちゃ豊かなことだけど、社会のなかに存在する人間として、自分に広がりを持たせるというテーマから見ると微妙。

 

 自分は良い人なんじゃなくて、最低とか言われる、損する役回りを他の人に押しつけてるだけだった。

 

 最低と言われる一歩を、まず自分が踏む。言葉にする。行動する。

 最低と言っても、人を激しく傷つけるとかではなく、馬鹿になったり、くだらない部分を見せたりするということ。

 

 そうすることで、場の空気を柔らかくするようなことを、全部他人にやってもらっている。それは良い人ではない。

 

 傷つけないんじゃなくて、上手な傷のつけ方つけられ方を学んでいく必要があるんだ。