<3184>「『ハウス・オブ・グッチ』」

 アマプラにて。

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 ある場所、ある段階では適切だった力も、そこを時間的空間的に越え出れば、マイナスに作用してしまう。

 

 例えその人に個人的な能力や魅力があっても、その人がふさわしい場所に位置していなければ、力は空転する。

 

 この家族は、どこでどう組み、どのように時間を経過させていけばベストだったのか。

 

 答えはもしかしたら出るのかもしれない。

 

 しかしひとりひとりの人間は、集団に意識の中心を据えて生きている訳ではなく、個人の生活に重心を置いている。

 

 良い波に乗っているとき、集団からの視点で見れば私はここで退いた方が良いなどと考えて実行できることは稀だし、それが組織にとっても当の個人にとっても良いことであることが分かっていても、立場を追われた身の上で、黙ってニコニコしている人を見つけるのも難しい。

 

 

 人の欲望は、本人にも変わり目が分からないまま、徐々に、そして劇的に変化する。

 

 主人公の妻は、力に目がくらんで愛を始めた人にはとても思えなかった。

 

 ただ、夫を引き上げていきたいという意思は、どこかで、私が引き上げてやっている、という自惚れに変容している。

 

 裏切ったのは、夫か、妻か。

 

 きっかけをどこに置くかでそれは如何ようにも変わる。

 

 そして、変化の過程は見えない。いつも結果だけが見える。

 

 結果が見えているときにはもう、手遅れだ。

 

 主人公の妻は、最終的に、「私の家」に、「グッチ」という名前にしがみつく。

 

 しがみつき、得たものは、獄中での生活だ。

 

 この結末は一体、欲望の変容の、どの辺りで決まったことなのだろう。

 

 人間はこわい、という言葉を放っても、何も掴めないまま放心する時間だけが残る。

 

 人間はこわい、のじゃない。ただ、訳が分かっていなかっただけなのではないか。

 

 現在という、訳の分からない場所にいて、欲望も、身の置き所も、はっきりしなかったのではないのだろうか。