<3067>「埋まらない場所を埋める」

 何かを犠牲にしてきた、

 と考えると 違和感がある、、

 順番が逆だ、

 届かせたいもの、

 到達したい場所があって、

 現実の諸々を断念してきたのではない、

 現実をしていても、

 何も感じることができなかった、

 何も密接に感じられなかった、

 だから、

 私はなにもない場所で、

 何かを積み上げる必要があった、

 犠牲にしてきたのではない、

 現実に、

 犠牲にする何ものをも感じられなかったところから、

 はじまっている、

 

 だからもともとのはじまりが無なのです、

 持続力は、

 怒りや、くやしさや、

 しつこさの強さだと思っていました、

 もちろんそれもあるでしょう、

 でもそれ以上に、

 普通の生活に、

 普通の交換に、

 普通のステップに、

 もう絶望的なほど、

 なにも感じることができなかったところから、

 はじまっているのです、

 だからこの持続力は、

 生活を掴めない、

 冷や汗をかき続けている人間の焦りなのです、、

 

 ストイックではない、

 我慢ではない、、

 私の中で鍛錬は、

 トレーニングは、

 命綱です、、

 それがなかったらどこかにほどけて、

 ただなにも感じられず、

 ころげてしまうだけ、

 牛河さんは、

 徹底的に自分を鍛えるでしょう、、

 でも辿っているのは、

 破滅への道なのです、、

 こういう矛盾は、

 生活に何も感じられない人間には、

 必要な矛盾です、、

 ワーカホリックもそうでしょう、、

 何かを大切にしたいのに、

 仕事が忙しくて大切にすることができない、

 なんていう論理は嘘だと思います、、

 大切にしたい何ものも、

 世の中で大切とすべきだとされている何ものにも、

 何かを感じることができないから、

 局所に、過剰を持ってきて埋めるんです・・・