<1570>「肌が同じ景色へ近づく」

 ものがあります、、

 これに上手く入っていると、思いがちなのですが、

 どうもそうではなく、

 どこまでもそれは絡み、一体になって現れているところでした、、

 日を繰るために、

 粛々と、身体から溢れ出していく、、

 その、ものの言い方、態度とも言うべきもの、

 厳然とした、事実に、従っているというより、、

 当たり前に、その静けさに一致しているという、話、、

 私はその声の波とおんなじような姿になっていった、

 私はその波の静けさに合わさった、、

 同意した、

 や、肌がその色に近くなっていた、、

 

 その内奥の秘密と呼ぶほどの、おそらく大層なものでもなく、

 あると決まった以上、回転が可能な以上は、

 理想、感情の、揺らぎにもかかわらず、

 ただものごとをおしすすめてくるようにしているのだ、、

 私は、それと肌を同じゅうして、、 

 点滅し、、

 日をまたぐのだから、、

 仕方は簡単であるはずだ、、

 この、簡単という、やっかいな外部、、

 この、簡単という、存在の仕方を、

 私は価値判断せで、眺めてみる、、

 価値判断せで、置いてみる、

 手を入れる、

 手を触れるということには、

 余計なはしゃぎ、馬鹿騒ぎが、ないようじゃない、か、

 どうだろうか、、

 私は、それに手を付けていることで、

 その、ものの沈黙した運動に身体の内部も外部も構わずその全部を集めてくるような、気がしている、、

 ここに集まればまだ生まれたままの一本の線に還ることが出来うる、とひとつひとつが言うようで、、

 私は、そこ、沈黙したなかへ垂れてくる響きをじっと時間を遡ってきいていた、、

 

 あたしが手を入れて、、

 もうまったくここから関係が遡って行くとしか、思われない場所に、連れられる、

 あ、晴れた、、

 晴れていると、そのままに、いろいろなものが入るから、、

 まったく見事だと、いうほかはない、

 まったく身体だと、いうよりほかにはなかった、、

 おそらく簡単な事だ、とか、なかなかに困難な事である、などの、言葉はひとつも聞かれることはないだろうと思う、

 そこに、回転する、力が溜まっている以上は、、

 なにが、なにを受けようと、、

 巡ってくるように出来ていて、

 その響きと、徐々に同じ身体をしてくるものがあり、、

 同じ言葉の形をしてくるものがあり、

 同じ水に入ったのだと分かる、、

 振れてゆく、ひとつひとつのものが、

 私には、私には、、

 何かと言う、ていの形を取ってはあらわれてこない、、