<1538>「身体が低音部から生き始めている」

 手を触れているものがここにいくらもあるのだ、、

 触れると、触れる、続き、、重なった、その様相、

 その内側へ、まったく入り込んでしまい、、

 まったく内側になって生きている声がする、、

 あたし、速度、、声を持って、、

 この全範囲にあたりまえに伝っているところなのだ、

 伝っているひとりきりの表情を見よ、、

 それは、いっかなメッセージであろうか、、

 あたしの目の表情は、少しくあばれているだろうか、

 分からない、それよりも、、

 新しく肌が渦を巻いてきているという事実にあたろう、

 私は、それで、振るえている訳でもない、、

 なんという振動、、

 身体が低音部から生き始めている、、

 生き始めている音がするだろ、

 どうか、どうか、どかどか、どか、、

 分からない、それよりも、、

 これだけの騒ぎを包んで静かに存在しているという、

 、なに、そうだな、うまく覆いだ、、

 私どもは、こうして、、静かに微笑みを交わしている、、

 明確な、・・・、明確な音もせないのにな、

 さわがしさに各々が独自の仕方でぶつかったのだろ、

 はっきりと、、言う、、ための、音の高さがないぞ、、

 なに、低音部が緩やかに響いてくるのに任せていた、、

 肌が、新しくなる、、

 さんざにさわぎに触れて今その表面に表情をさらして、このようにして、沈黙を作るのだ、、

 

 限りというものの、まるで失せたようなのか、

 まるであたりまえにもって、、

 ぽたり、だらだら、、

 ト、数量、数量は豊富になる、、

 あれ、こんなにもほぐしている、、

 こんなにも身体というものを送っていると、、

 どうしたって、、ひとつの呼吸を表す、先端に、なってしまわざるを得ない、、

 先端に、勢いが何度も生まれるというところで、花だ、重なり合い、豊富に見えている、花である、、

 その呼吸の作用として、、

 ああ、あれは、めまぐるしく回転しているとそうなる類であったのか、、

 手を触れていることに、なるのだろうな、、

 これだけ、ひとつの時間において、輝かしく、あらわれるならば、

 それにざわりと触れ合わせていることが、、

 どのようにも必要になるのだろうという、、

 ひとつの確信みたようなものを持ち、

 だらだら、ぽたり、だら、

 ト、隙間があれ、次々に、めぐる、出てきようね、

 出てきたままでいっさいの戸惑いがないじゃないか、、

 景を、ざうざうと、すばやい目の動きでつかみ、、

 それは新しく、別の、それほど離れていない場所で、

 渦を巻くのです、渦を、、

 そこにそうと身体を置いて、生きているのです、、

 あら、あら、ね、どうしたって、私など、はなやかにならざるを得なく、、

 ここのはたで声を持ち上げてどこまでも揺れていく、