<1526>「電気と身体線」

 ここいらをただだらりと打つリズムがあり、中心があり、、

 そこを目掛けて飛び立ちました、、

 あ、いい香りが来て、それに、一体、ここからどこへゆかれるのかという、話も、ある一定の温度を持ってくるのでした、

 ずらずらと来ました、、

 あるひとむこうへ、言葉の端をじっとあたためたままで、ずらり、ずらりと並べて、、

 ほうという声の掛かる日、、

 ほうという声の掛かるカンドコロをすみやかに来ました、、

 もっともっと遠方へ、いきおい余って、私は、沢山の音を出しますけれども、それが、

 一心にとけていくことの条件を成していた、、

 と、オモイ、とても、大きく驚いています、、

 

 例えば、そのいくらもとけだしたもののなかにまた私自身もはいっていて、振舞いする、、

 身体を明らかにすることに、なにか、、たくわえた響きの続きのいちいちを、見るオモイがする、、

 (見て、あんなにはっきりと出していた身体が、今境目もなくなって、、あんなに上手くほうられている、)

 例えば、もういくつもの前に吐かれたもののなかに、見えなくなったあとで住まいますが、、

 身体の形をとらないもの、

 身体の形さえオボエテイナイものが、

 辺りをただだらりだらりとさまよっています、見て来ましたから、

 そこへ、呼吸で、まったく必要量でもって、ずらりとはいってきましたから、、

 私はそのごの驚きをなしながらここにいるのです、、

 ことのあとの不安定なひろがりをきいているのです、

 きいているもののあいだに、ひょいと顔を出してみているのです、、

 

 振舞いの総体が、サイドステップを踏みながら、、

 まったく環境のなかへ、、

 いくつも混ざって止まないものを提供していますけれども、

 それはドウイウ訳のことか、

 ある時間に続けてその考えを重ね合わせてゆきながらも、、

 (私には、ますます分からないことで、ははあ何も、何ものかというものを、、知らなんだ)、

 ていねいにそのあとではじけている、、

 遠方へ、、暮らしのあわが立ったままになっているところへ、

 要素が、ずらりと並び、、 

 ぷちり、ぷちり、、とはじけている、、

 そうか、そのはじけているなかへ、見事に全存在をあらはして、、

 上手い方法で、生まれているんですね、、

 と、いまのように当たり前に思いました、

 きっと少し前にそのままになって、、

 ここにひとつ浮かぶことにしたなんという、、

 仕草にも、しっかりと、電気を引っ張り、

 揺れがいちかしょで強くなる、、

 ほんとうにそのまあいで言葉をきいていた、、

 中途からずらり、ずらりと膨らんでくるのも、

 分かり、、

 ただうれしい肌をずらり、ずらりとここへ並べて、、

 今に走るのです、、

 今にいくつもの線がはねかえってきているのです、、