<1524>「歓喜の底の燃焼時刻」

 例えばわたくしがそこへ振動する手を乗せてですね、、

 いろいろのものごとが立ち上がってくる、時日に、

 見事に参加している、、

 見事にその色合いのなかへ混ざり込んでゆく、、

 のを、ふいに感じながら、過ごしているようだった、

 そうすると、振動は、独特の破裂の仕方を含みながら、、

 今この場所へずらりと並んで、まともに静止しているのです、

 それを、その仕草をも、

 黙って吸い込んでいき、

 きっかけとなる、熱を、ここへ放った、、

 わたくしはこれは腕の外側を通って、

 黙って液よりも聡明に、

 このルートのなかを伝わって、、

 わたくしの夜の中へ到達すると思うのです、、

 その内景色のなかに振動がとけ、、

 愉快な光を放つ、

 ひとつひとつが愉快の角で、

 

 わたくしはもう歓喜の底にたまりこんでいる、

 それらアクの強いものを、、

 じゃんじゃんと渦中へいれこみ、

 まともに踊らせていた、

 (なるほど、そのような踊りが、あたしのなかへ生えて、いつまでもいつまでも限りなく揺れている)、

 尋常な時刻に、ひとりで立ち尽くしていた、

 あの、回転する時日の、密度だとか、色合いの濃いさ、

 わたしはもう底からありたけの歓声を耳にまとわらせて、、

 ここへ、ぶらぶらと、揺れていたのだ、、

 その、丁寧な接し方といいますかに、

 驚いていました、

 あなたが、そのまま、長い声を、こちらへ掛けるような気がしてきました、、

 

 だいいち、、

 やたらめったら種々様々のものへ好き放題に手をいれて、

 それでなんですか、、

 それで身体というもののありかたに馴染んでくるのか、

 これは、ただのもの、

 ただのものだけど、なんともあたたかいじゃないか、、

 間断なく小さな燃焼を繰り返して今ここらへずいと立ち上がっているに違いないのじゃないか、

 (そうすると、あれだな、、身体が接近して、まったくぼうっと、一瞬でなくなってしまうような、現実の内風景のことを、もっと進めてみたっていいのかもしれないな、、)

 ぼたぼたと火がたれていくのですね、、

 あたしはそんなことはどうやら知りませんけれども、、

 あなたにして、一所に、あたりまえの運動をそそいで、、

 そこに、生きてえたあたいの活動がある、、

 不思議なことには違いありませんよ、、

 あたしが肌を通して、

 たらたら、たらたらと、、その伝線、まくろなルートを、進んでいくんですから、

 見ていますね、今、、

 それがどの日の巡りかはわたしは知りませんけれども、

 どうも、、

 こういうものは皆、燃焼の跡で、ルートを含んでいるらしい・・・、