ただのボンヤリか引き出しか

 「意識的に無意識の時間を増やす」

という試みの、何と矛盾をはらんだことか、とは思いながらも、果たして今はそれに成功しているように思えなくもないような状況になってきているから不思議なものだ。

 ただ、文字通り意識の無い境地にあれば、それがどんな状態かというのを確かめる存在としての我というものがないので、意識を明確に取り戻した後、そんな無意識状態を思い返してみたところで、

「あれはちゃんと無意識の力というものを引き出せた時間だったのか、それともただ馬鹿みたいにボンヤリしているだけの時間だったのか」

が分からず、多少なりとも不安な心持になる。

 まあ、そのように馬鹿みたいにボンヤリするのが宜しいのかもしれないよと、ひとり自身を慰めてみるのだが、それで良いのかどうかはまだ分からない。