食後、一杯の麦茶を口へと運んでいる。この麦茶は無論、家に置いてあるものなのだが、別に誰かに飲むことを強制された訳ではなし、
「様々な飲み物から選択し、麦茶を飲んでいる」
と言えるような状況にある。
なるほどここにはある種の自由があっただろう。なにせ、強制が働いていないのだから。しかし、完全な主体性までもがそこにあったと言えるのだろうか。
身近なところで言えば、食べ物との相性、毎日の習慣などから、父母の好み、はては文化的土壌まで、種種様々な影響を受けた上での麦茶の選択であることは疑いようがない。
それだけの影響を受けながら選んだ麦茶は、完全に自由に選んだとは言い切れないのではないか。
さて、何故こんなことを言い出したのか。
「完全な自由」
が欲しかったからではない。
「それだけの影響を受けたうえで、それでも最後の最後には、やはり自分の意思も少しは混ざる」
という程度の自由に、不満を持っていたからでもない。そうではなくて、この、
「強制はせずとも、知らず知らずのうちに私の一部を形成していっている」
という外物と私との距離感が、そのまま、
「歴史」
との距離感なんだということをハッキリと知覚したから、こんなことを言いだしてみたのだ。
今まであまり、大きな流れとしての歴史や文化に対して興味が湧いてこなかったのは、このことを知覚していなかった、あるいは知覚していたとしても、それはひどくボンヤリとしたものであったからなのだ。
歴史は私の動きを縛らないし、覆い隠しもしない。ただ、それでも足の裏に、背中に、べったりとはくっついているものなのだ。この不思議な距離感は何とも正確には捉え難いから、一方では歴史に縛られているように錯覚して、柔軟性を失った過激な考えを取る人が出たり、他方では私のように、歴史など全く私にくっついていないかのように錯覚し、どこか宙ぶらりんのように自身を見ている人が出たりするのだろう。