力を入れると冷たくなる 力を抜くとピエロになる

 「自分が、その役割を果たさねば」

と強く思っていたとき(中学生ぐらい)ならまだしも、もういい加減、家族に対して、

「ピエロ」

を演じることは止めたいと思うのだが(家族にも、ずっと演技をしてきたことを既に明かしているから、もう家族だって私が「ピエロ」を演じることを望んではいないだろう)、なかなかどうして、長年染み付いた癖というものは抜けてくれない。

 それに、そういった対応をするのが当たり前になりすぎてしまっていて、いわゆるところの、

「自然な対応」

というのが一体どういうものなのか、もう良く分からなくなってしまっている。

「自然に接しよう。ピエロはダメだ」

と力を入れれば、逆に対応が冷たくなりすぎてしまい、家族に、

「あいつ何かあったのか?」

という余計な心配をさせることになるし、その反省を生かして今度は、

「もっと力を抜いて。自然体で」

と力を脱力させると、染みついたピエロがスッと表面に出てきてしまう。だから、

「自然な対応」

を、不自然な細工をしてこれから拵えていかなければならないという変な困難がある。