戯れではなく、放棄

 静かに流れる時間と戯れ、付与されるがままに遊びたいと思うのだが、なかなかどうして、その境地に至るまでには程遠いと言わざるを得ない。

 束の間訪れる静かな時間を歓迎することは私にも可能だが、ひとたびその静かな時間が全体を満たしてくると、どうしても私の中で不安というものが幅を利かせ始め、せっかく付与された静かな時間を、いとも簡単に放棄してしまう。

 それは睡眠という形を取ったり、娯楽にふけるという形を取ったりする訳だが、いやいや睡眠あるいは娯楽というのはれっきとした戯れではないかと思われることがあるかもしれない。

 確かに睡眠あるいは娯楽それ自体は戯れだと言えるのだが、私はこれらを、

「静かな時間からの放棄先」

として選択しているから、あまりそれらは戯れという様相を呈しては来ないのだ。