用もないのに、知らない人から声をかけられたら怖い。しかし一方で、用もないのに知らない人に声をかけたいと思う自分もいる。
自分が、
「怖い」
と思うような事を、人に向かってするというのはどうだろう。あまり褒められるものではない。
用もないのに声をかけたいと言っても、それはいわゆる「ナンパ」などではない。ナンパをするのは苦手だということは、以前、『話せば分けられる』で書いた。そうではなくて、例えば、誰とも知れない、道行く綺麗な人を見かけたら、ただただ、
「ブラボー」
「ファンタスティック」
とだけ声をかけて、その後はすぐにそのまま別れていきたいのだ。つまり、ただそれだけを言いたいのだ。称賛だけをしたいのだ。
おかしな望みだと思われるかもしれないが、では例えば路上などで、思わず足を止めてしまうほどの素晴らしい演奏をしている人がいたら、立ち止まって称賛せずにはいられない、拍手を送らずにはいられないという気持ちになることは皆さんにもあるだろう。それと同じである。ミュージシャンの演奏を見かけたときと同じように、綺麗な人を見かけたら、
「なんと綺麗な人なのか!ブラボーだ!」
とただ称賛したいのだ。もちろん、そんなことをしたら気味悪がられるだろうということぐらいは分かるから、実際にやったことはない・・・。
これがもし、知り合いの綺麗な人に向けられたものなら、怖がられる可能性も低くなるのかもしれないが、知らない人に向けられた途端、急に怖がられる可能性が高くなる。
しかし、知らない人同士であっても、例えば、同じ建物に入ろうとしているときに、自分の前を歩いていた人が、ドアを開けたとき、後ろを歩いている自分の存在を認めて、ドアを開けたまま押さえていてくれたら、それはとてもうれしいだろう。
道で思わず転んでしまったとき、
「大丈夫ですか」
と声をかけてくれ、手を差し伸べてくれたら、それが知らない人であってもうれしいだろう。
そうすると、知らない人同士の間で起こることであっても、交わり方によっては、お互いがうれしくなるということは実際にある訳だ。
ならば、ドアを押さえていてくれたことで、手を差し伸べてくれたことで嬉しくなってしまうのと同じように、なんとか気味悪がられず、
「なんて綺麗な人だ! ブラボーだ!」
と知らない人に声をかけ、声をかけた私も、かけられた相手も嬉しくなってしまうというような状況に持っていく、何か良い方法はないものだろうか。