「夢や目標は具体的に持つ」
というのは、その達成のためにも大事なことかもしれませんが、だからといって、
「具体的にやりたいことがある」
とか、
「やりたいことが具体的に無いといけない」
なんていうのは嘘だよ、というような気がしています。
何故かというに、具体的なものというのは全部、後からの拵えものであるからです。人間の中にある漠然とした、何ら形にもなっていない、欲望と呼べるかどうかも分からないゴニョゴニョしたものを、とりあえずかたどって外に出し、それに名前を与えることによって普遍化させたものが、いわゆるところの、
「具体的な欲望」
ですから、そういったものは当然、原初のゴニョゴニョしていた、欲望らしき何か漠然としたものとは、少しズレたものになる訳です。
ですから、
「具体的にやりたいこと」
や、
「人に説明可能な欲望」
などというのは、当人の根本のところの欲求の、縁をなぞったものにはなっているかもしれませんが、根本の欲望そのものとは言えません(もっとも、欲望という言語さえ、後からの拵えものでありますから、当人の根本のゴニョゴニョしたものを言いあらわす単語として「欲望」をあてたとしても、それはやはり縁をなぞっているだけで、根本にあるのは「欲望」という言葉が指し示すものとは似て非なる何かであることもまた然りです)。
なので、
「私が今やっているこれは、何かいまひとつ、本当にやりたいことじゃないような気がする」
であるとか、
「確かに好きは好きなんだけれど、これが本当にやりたいことなのかどうか・・・」
といった類の疑問や悩みを持つことは、ある意味当然だと言えるでしょう。
自分が心からそう思っている、本当にやりたいことというのは、言語として表すことすらできない、もっと漠然としたものなのですから、世の中に存在するものに自分の欲望を寄せていって、具体的なことをやってみたところで、本当にやりたいこととのズレはどうしたって生じてきてしまいます。
そうすると、言語でもって他者に説明可能な、
「やりたいこと」
など、所詮、根本の漠然とした、
「やりたいこと」
とは異なるもので、せいぜい縁をなぞれている程度のものなのだと知ることが出来れば、自分の中である種の前向きな諦めが生まれ、
「具体的なやりたいこと」
が自分の欲望にピタリと一致しないということで悩まなくても良くなるかもしれません。