昨日、大食い選手権や早食い選手権などの賞レースに参加して賞金を稼ぐことなど(スポンサー契約などもある)で生計を立てている、いわゆる、
「フードファイター」
と呼ばれる人がテレビに出演していた。
その人は自らを、
「アスリートである」
と自認していた。成程、身体の鍛え方から、素早く大量に物を食べる(正確には飲み込む)技術まで、まさにアスリートと呼んで差し支えないような素晴らしさだった。
私は、「フードファイター」の技術に素直な驚きを覚え、思わず感嘆の声を漏らした。
そして、
「こういうことでも食っていける(生計を立てられる)のか!」
ということに半ば驚き、ある種の喜びを覚えた。勿論、私にも「フードファイト」の素質があったが為に喜んだ訳ではない。そうではなくて、今まで職業とは言えなかったものが職業として成立するというのは、それだけ世の中が豊かになり、人々の考え方が柔軟になった証拠だと思ったので、私は嬉しかったのだ。
「職業とはこういうものでなければならない」
という、誰が作ったか分からない固定観念みたいなものの外側に「フードファイター」は居た。それが嬉しかった。
ということは、これからも、固定観念の外にあるような職業が出てくるかもしれないと思うと、今からワクワクする。
しかし、同じようにテレビを眺めていた親の反応は、私とは異なるものだった。曰く、
「こんなことで食べているなんて」
ということだった。
「職業というものはかくあるべきである」
という固定観念を意識的か無意識的かに持っているのだろう。
とんでもない量の食物を食べられる人が居て、その様を見ていたい人がいる。見るためにお金を払う。それによって、「フードファイター」という職業が生まれる。
それで良いのではないだろうか。他の職業だって、極論、需要があるから存在するのではないか。私は、「フードファイター」のことを、立派な職業の一つだと思う。