私は、自らが育った家庭環境などの影響もあって、
「家族」
であるとか、
「夫婦」
であるとかのものに、一切の希望および幸福を見出さなくなったので、
「結婚なぞ絶対にしない」
という信念を持っていて、また、そういった信念を持っていることは、親しい友人や、親にまでも公言している。
そのこと自体は別に良いのだが、親が、私の信念に対して否定的な言動をしていることについては疑問が残った。曰く、
「家庭内の状況を見て、そういう考えを持つに至ることは分かるけれども、あなたにはあなたの人生があるし、あなたはあなたの家族を形成できるはずだ」
ということらしい。
親の言っていることは間違っていないかもしれない。しかしそれでも何故、私が
「家族」
というものに理想を見れていないことに対して、親は自覚的であるにも関わらず、その上で尚も結婚することを勧めてくるのだろうか。
これは想像の域を出ないが、おそらく私の、
「結婚しない」
という選択、
「結婚に理想を見れない」
という信念に触れたとき、親は、自己のやってきたことを否定されたような感覚に陥っているのではないかと思う。
「私は、あなた方祖先がやってきたことを受け継ぐつもりはありませんよ」
という宣言をされると、親は、これまでの自己の営みを全く否定されたように感じるのではないだろうか。
だから、子どもが、
「結婚」
に理想を見れなくなっていった過程を良く見ていて、その心情について良く知っていたとしても、なおも自己肯定の為に親は、結婚を勧めてしまうのではないだろうか。
もしそうであるとすると、今度は逆に、
「明確な意思でもって結婚を勧めない」
親はいるんだろうかという所に疑問は及んでくる。無理強いしない例はいくらもあるだろうが、そうではなく、明確に、結婚することを勧めないという信念でもって子どもに対する親はいるのだろうか。そんな自己否定的な行為に親は及べるのだろうか。
どんな環境で子どもが育っていようと、結婚を勧めてしまうのが親というものなのかもしれない。