まず初めに、私は平等信者でもないし、全てのことについて平等である必要はないと思っていて、それぞれがそれぞれの役割を果たしていけば良いのではないかと思っています、ということを先に記しておいた上で、話をしたいと思います。
こんなことを先に述べて、一体何の話がしたいのかというと、つまりは、
「男女平等」
のことについて少し思う所があって、一応ひとつ言っておきたいところがあるといった次第なのです。というのも、
「仕事における扱いの平等」
を、女性が訴え出してから、もう随分と長い時間が経っていて、まだまだ途上とは言えども、昔に比べればそれなりに改善されてきたと思うのですが、もし、仕事における平等を本当に実現したいと思っているのならば、
「仕事以外のことについての平等」
についても、女性自身が受け容れなければならなくなるということについては、どう考えているんだろうということを、この頃思っているのです。
例えば、
「デートなら男性が奢って当たり前」
であるとか、
「専業で主婦をやってもらえたら、それで良い」
というようなものは、男性が、こと仕事において、能力に関わらず無条件で女性より優遇されていたからこそ、
「それじゃあ男ばっかりズルいじゃない」
ということになって生み出された女性優遇システムだと思うのです。
「専業主婦のどこが優遇なんだ!」
と怒る人もいるかもしれません。これは、私の体験に伴う、個人的な意見の範囲を出ていないということを承知で言うと、専業主婦(主夫)というのは、かなり優遇された立場なんじゃないかと考えてしまいます。というのも、専業主婦の時代が長かった実の母親は、家事を仕事としては捉えていないらしく、私が家事などをしていても、
「仕事もしないで何をしてる」
ということを言っていたので、やはり外で行う仕事と家事の両方を経験した母親が、家事を仕事として事実捉えられない以上、専業主婦(主夫)は恵まれているという結論を出さざるを得ないのです。
これらの優遇システムは、仕事における優遇の差と密に結びついており、もし仕事において男女の別なく平等に評価される世の中を本当に達成したいと思うならば、これらの優遇は当然放棄あるいは、
「デートは男女の別なく、奢りたい人が奢る」
「専業主夫も、主婦と同様に、当たり前に社会に受け容れられる」
というようにしていかなければなりません。そこを認められないと、
「仕事における扱いの平等」
を実現するのは難しいと思います。
「男女平等」
を訴える女性の中で、自らの利益の放棄についても受け容れられる人は果たしてどれだけいるのかということを、ひとつ言わずにはいられないのです。勿論、受け容れられるのであれば、その方向で社会を進めていくことについては、文句を言うことができません。
私は、
「専業主夫だって良いじゃないか。主婦と同じことをやるのに、何故男性だけ、ヒモだと悪口を言われるのか」
と思っていますが、しかし一方で、
「仕事の機会、扱いを平等に」
と訴えてきた女性が、専業主夫を、分かってはいるけど受け容れられないという気持ちも分かるような気がします。何故なら、確かに、
「女性も男性も同じように仕事の機会が与えられるなら、専業主婦だけでなく、専業主夫という形だって、あって良い」
ということは理屈としては分かっていても、
「仕事を同じようにさせてくれ」
と求めてきた女性にとっては、家にいること、家のこと全般をやることを優遇とは思えず、不当な待遇だと怒るところから出発した人達でしょうから、それを逆に、嬉々として受け容れる人たちがいるという事実自体、理解不能なんじゃないかと思うからです。
本当は、
「仕事における扱いの平等を」
と訴えている女性たちが先陣を切って、
「専業主夫」
の正当性を訴えていかなければならないのに(性差を設けないという点では同じことですから)、理屈では分かっていても、おそらく感情がついてこないでしょう。ここらへんにも、男女平等実現の難しさが潜んでいるように思います。