日本では、お年寄りの貯蓄額が多いそうですね。子や孫の為に残しておきたいという思いがあるのかもしれませんが、乱暴なことを言えば、後先長くない人がそんなにお金を貯め込んで、一体何がしたいんだという気持ちが、正直な所、あります。
しかし、お年寄りの気持ちも少しは分かります。身体も衰退してきて、後先長くないということが、これでもかというほど自分で良く分かる為に、消滅するという不安が大きくなって、その不安を埋め合わせるかのように金銭を貯め込むことで、なんとか少しでも安心を得たいと思うのでしょう。
ただ、残念ながら、お金をどれだけ貯め込もうが、消滅するという不安は無くならないですし、そもそも不安というのは、若かろうが歳を重ねていようが、死ぬまで一生無くなりません。この根本的な不安を前にしては、お金の多寡はほとんど意味をなさないのです。
それなのに、不安を消す為に一生懸命になっているという現象を、何もお年寄りに限らず、よく見られるように感じます。ひどい場合には、そういう不安を煽る形で商売をしている人なんてのもいますね。
「不安を消そう」とする営みは、無いものを追っかけているようなもので、まず報われることの無いむなしい努力です。それよりも、生きている限りは消滅してしまうという不安は付きまとうものだし、無くならないものだと割り切って、不安の中で佇んでいられるように自分を仕向けて行く方が良いと思います。
逆に言えば、不安なんてものは無くならないはずであるのに、不安が無くなったように感じているならば、それは錯覚であって、非常に危うい状態にあると考えても、それほど間違いはないでしょう。
「これがあればもう安心」
であるとか、
「不安とはおさらば」
みたいな文句が魅力的なのは、「不安」というのが、生きている人間にとって根源的で、避けられないものであるからこそです。小手先のテクニックで無くなるものではないんです。