「セックスとは、小さな死である」
とは誰の言か忘れましたが、何だかとても洒落てる言い回しのような気がして、
「そうかあ・・・小さな死なんだなあ・・・」
と、嬉しくなって、自分の頭の中で何回も繰り返して言ってみたりするのですが、肝心の、言葉の意味については、分かったような顔をして全く分かっていませんでした。ただ、
「何故、セックスと死が関係あるのだろう?」
ということをここ最近考えていて、ふと、自分なりに何か多少なりとも気づいたことがあります(それでもまだ、気づいたつもりかもしれませんが)。
まず、「死」について言えば、昨日も書きましたが、精神であるとか意識であるとかが、「無に還る」か「死後の世界」に行くかどうかは、死んだことが無い為によく分からないので、一旦置いておいて、ともかく肉体は、火葬され灰になり、骨が土中に埋められる形で「地球という全体」に還っていくと思います。何らかの力で、ひとところに「個」として集まっていたものが、やがて全体に還っていくというのが「死」だと思うんです。
ここまで見てきて、
「セックスも死に似ているかもしれない」
ということに気づきました。つまり、セックスというのは、普段は「個」として存在している人間同士が、身体を一体化することによって、確立されていたはずの「個」が他者に流れていき、「自他の区別」が無くなる境地にまで行くから、「死」にごく似ているのだと思うのです。そして、「死」は地球全体に還るのに対して、セックスは他者と一体になるので、「小さな死」なのでしょう。
私事になりますが、誰でもお金さえ払えば性行為を出来る世の中に生まれながら、何故セックスに及ぼうとしないのか自分で自分が疑問だったのですが、その理由も良く分かるような気がしました。つまり「個」を意識しすぎている自意識過剰な人間にとって、セックスのような「他者と一体化」する作業は、「個」が損なわれていくような気がして怖いのです。また同時に、「死」を連想させるという怖さもそこに加わるのでしょう。
まだ読んでいないのですが、村上龍さんの著書に、『自殺よりはSEX』というものがあります。
「どうせ死ぬのなら、その前にSEXしなよ」
というメッセージなのかなあと、タイトルだけを見て漠然と思っていたのですが、勿論そういったことを言いたいという意図はあるかもしれませんが、セックスは「死」の疑似体験なんだという思いがあっての、本のタイトルかもしれません。まあ憶測で語るのはこれぐらいにして、とりあえず読んでみたいと思います。