声に出してみると気持ち良い

 私は常々、漢文を使いこなせるようになりたい、と思っているのですが、学生の頃に使っていた漢文の参考書を読み返してみると、コラムのような所に、

「細かく文法の勉強をするのも良いが、それよりもとにかく素読をして、漢文の呼吸を掴んだ方が良い。」

というような趣旨のことが書かれていました。何でも、昔の学生は、先生が読み上げた漢文を、その文の意味や内容が良く分からないまま、先生の後に続いて繰り返し読み上げるという、「素読」を通して、知らず知らずのうちに漢文の呼吸を掴み、最終的には、漢文の意味・内容まで理解するに至っていたというのです。

 「う~ん、意味が分からないのに、声に出して読んでいるだけで本当に漢文の呼吸が摑めるのかなあ・・・?」

と疑問に思いましたが、またまた参考書に書いてあるところに拠れば、知らない言語を覚えるときは、意味が分からないままでも、声に出して読んでいくのが正攻法だ、と言うんですね。

 なるほど、確かに赤ん坊のころを思い出してみれば(まあ、実際に記憶がある訳ではないですが 笑)、意味なぞ分からないまま、親の真似をして声を発しているうちに、いつの間にか言葉を話せるようになっていったではありませんか!

 これは、「素読」が一番、漢文を習得するのに良い方法だと半ば確信した私は、家に置いてありながら、何度も挫折したため、しばらく読むことを放棄していた「論語」を、また読み始めることにしました。

 今までは「黙読」していて、途中で何度も挫折してきた「論語」ですが、今度からは「素読」で挑戦です。

 すると、どうです。意味が分からなくても、声に出してそのまま読み進めれば良いという気楽さからでしょうか。これが嘘みたいにスイスイとページが進んでいくんですね。そして、今まで「黙読」だけしていたときには絶対に気づけなかった大きなことに気がつきました。それは、

「漢文って、声に出して読むと、気持ち良い。」

ということなんです。漢文というのは、今の現代語に比べて、一つ一つの文が簡潔で、なおかつ、随所でビシッビシッと決まり(分かりにくい表現ですいません 笑)、それでいて語られている情報量は豊富と来ているので、何とも読んでいて気持ち良い気分になれるのです。これは「素読」をしなければ得られない体験でした。

 まだ、「素読」を実践して日が浅いですから、漢文の呼吸をガッチリと掴むところまでは全然行っていないのですが、それ以前に、読み上げる楽しさの方を先に覚えてしまいました。漢文は声に出してこそ、の物なんですね。