何故タダで食っちゃいけないのか?

 コンビニや喫茶店などの飲食店で働いていたことのある人なら勿論のこと、飲食店などで働いたことの無い人でも、

「まだ食えるメシがじゃんじゃん捨てられている」

という事実は、程度の差こそあれ、理解しているのではないかと思います。

 飲食店というのは衛生状態に敏感ですから、たとい腐っていなくとも、賞味期限を過ぎたら、次々と処分していきます(コンビニなんかはそれが顕著ではないでしょうか)。まあ、飲食店の気持ちは分からないでもありません。問題が起きたら大変ですからね。

 私がここで問いたいのは、「まだ食えるメシをじゃんじゃん捨てる」飲食店の態度ではなく、その「じゃんじゃん捨てているメシ」を何故、我々一般人が、捨てる前に

  

  「タダで食っちゃいけないのか?」

 

ということです。

 「コイツはとんでもないバカだな。そんなことを認めちゃ、経済が回らねえだろ。」

というツッコミが即座に入りそうですね。しかし、経済が回らないということを考慮に入れても、

 

 一般人「すみません、それ、腐ってないままどうせ捨てるんだったら、私にくれませんか?」

 飲食店「イヤ、そんなことはできません。一人にそれを認めたら他の人にも認めなければならなくなるし、そうなればウチでお金を払って食べてくれる人が減ってしまいます。」

 一般人「でも、もし今私がもらわなかったら?」

 飲食店「ゴミになりますね」

 一般人「じゃあ私が今貰っても構わないでしょう?」

 飲食店「ダメです」

 

って、これ何のコントです?と言いたくなります。やはりおかしいでしょう。どうせもらわなかったらゴミになるものを、ゴミになる前にもらうことの何が問題なのか良く分かりません。

 この問題に対しての最大の反論は、既に挙げたように、「経済が回らなくなる」ということだと思うのですが(もっとデカイ反論があるぞという方は是非教えてください)、私はその「経済が回らなくなる」という反論、実は案外怪しいぞというように考えています。

 何故かと言うに、人間には「見栄」がびっしりとくっついているからです。「見栄」がもしなかったら、なんの腹の足しにもならない、どデカイプレートの真ん中にちょこんと料理が乗っている高級飲食店なんかに行かないと思います。

 仮に、「賞味期限が過ぎて、捨てる予定のメシは一般の人にタダで配っても良い」という風潮に世の中がなってきたとしても、富裕層は勿論、一般の人々も、

「そんな乞食みたいなこと」

であるとか、

「そこまで落ちぶれてねーよ」

というように、「見栄」が邪魔をして、実際にタダでもらいに行く人は少ないんじゃないかと、私は予想してるんです。

 つまり、廃棄される予定だった「まだ食えるメシ」をタダで配り始めたとしても、「経済って案外回っていくんじゃないか?」と、安易だとは思いながら、半ば真剣に考えています。

 

 何故そんなバカみたいなこと(私自身はきわめて真剣ですが)を考えているかというと、せっかく先祖さんたちの長年の努力によって、これだけメシがあふれているんだから、食える食えないの問題からは自由になって、現代人はもっと目一杯遊びまわらないと、先祖さんたちに失礼じゃないかと思っているからなんです。

 せっかく、将来の世代が楽できるようにとせっせか働いて、結果メシが世の中に溢れたのに、我々子孫が、目一杯遊んでいなかったらがっかりするんじゃないかと思うんです。

 ですから、そのメシをじゃんじゃか捨てているのは、経済を気にしているのだとしても、非常に奇怪な行動に私には映っているのです。