相田みつをさんの詩で、「本気」というものがあります。ここに内容を紹介します。
『本気 なんでもいいからさ 本気でやってごらん 本気でやれば たのしいから 本気でやれば つかれないから つかれても つかれが さわやかだから』
私はこの詩がとても好きなのですが、何故かというと、この詩の中には、
「ちゃんとやれ」
「真面目にやれ」
「全力でやれ」
といったような「本気」の強要が見られないからです。
「本気になってちゃんとやると、楽しいよ」
という、ある種の「知恵」のような様相を呈しているからこそ、すんなりと受け容れることができるのです。
自分自身の、ここまでのわずかな人生を思い起こしてみても、ちゃんと勉強して、ちゃんと遊び、ちゃんと取り組んでいたときの方が、テキトーに済ましていたときよりも、遥かに楽しかった記憶として頭の中に残っています。
どうしても怠け心や、「本気になるのなんてカッコ悪い」という気持ちが出てきてしまい、
「まあ、それなりで良いや」
と考えて、手を抜いて取り組んでいると、抜いたなりの「楽さ」はありますが(この「楽さ」というヤツがやっかいで、ついついこちらの方へ流れたくなってしまうんですね。)、「充実」とは程遠くなってしまいます。
そうして結局、ちゃんとやった方が楽しいから、「本気」になってくるんですね。
しかし、何を勘違いしているのか、上に挙げたように「本気」を強要する人が少なからずいますね。こういう人は、自分たちが「本気」になれていないということを、間接的に示しているも同然です。自らが、楽しくて仕方のない「本気」の状態にあるならば、人に「本気」を強要する気持ちなどさらさら起こりませんから。
楽しいから「本気」でやるんです。「本気」になってくるんです。