断片

曇り

重低音が、上下に揺すぶるように部屋を撫ぜ、耳鳴りが全体に拡がっていくような悪夢ではどうやらないことを確認し、虚ろな目を開いた。いつの間にか反対向きに寝ていた。 大方、飛行機の音だろうと思ったが、それにしては停滞している、歩みが遅い。どちらか…

集結

まだ、幾つと数えるのも早いような子どもを連れて、親たちがひとところに集まっていた。無関心だったり、他のことに夢中だったりして一向こちらを見る素振りのない子らをよそに、満面の笑みを作って、大人たちがこちらに向いていた。作った割にはぎこちなさ…

穴 (2)

不自然な暗さかもしれなかった。眼の玉を失い、真暗が後頭部の辺りまで通過している感覚。意識も雑念も、存在を根こそぎ奪われ、位置という位置を失った。 意識は、光なのではないか。場所の知覚。それがなければ、意識はないのでは・・・。より確かなはずの…

突き指

日常茶飯の出来事だったような気がした。突き指だ。何かに軽く手をぶっつけて、突然思い出したのだが、もう突き指はしなかった。こういう瞬間がたくさんあったのでは、という記憶だけが甦った。不注意だったのだろうか。勢い余っていたのだろうか。 ドッジボ…

石 ねりけし 手

チョークのように、白い線を地面に残していくのが面白くて、石を拾ってはガリガリと何かを描きつけていたときのことを思い出した。いや、絵だったか? それだけではなくて、文字も書いていた。主に文字だったかもしれない。地面のデコボコにいちいち細かに引…

溶け出していく

ある人の、若かりし頃の日記と、ある人の、若かりし頃の映像が重なる。その重なりがもたらす風景は、非常に整然としている。パチ、パチ、パチと、決まるべきところできちんと決まっている。分かりやすい、気持ちいい。しかし、どうだろう。何となく固い、硬…

無邪気な媚態

ともすれば、何の興をもそそらないほどに整っていたあの人は、自身の美貌を快く迎え入れていた。己の力に拠らないところのものに、少しも後ろめたさを感じていなかった。 あの人には、自身の美貌によって、人を試すようなところがあった。 「一体全体生涯の…

葬式

火葬されると、遺体は空中にふわりと浮き上がる、という話を思い出し、じゃあ、今あの人もちょうど、まるですっくと立ち上がったかのように宙へ浮き上がっているところだろうか、と考えた。燃え盛る火の中、閉じられた瞳が、やさしく微笑むようにこちらを見…

一区画

歩を進めていると、俄かに前方の景色が華やぎ出した。駅がもう近いのだろう。高架線を支えるように、歓楽街から一区画だけ切り取って持ってきたような雑居ビルが整列している。 その切り貼りが、一帯を脅かしもせず、空っぽにもしてしまわず、見事な興奮を辺…

夕暮れの延長

電球の光がやけに濃くなるのを感じ、あんまり夢中になって長いことここに座っていたことに思いを致す。夕日は、急くようにその姿を消そうと努め、暖かい色だけが周囲を強く照らそうとしているように思われた。 もうカーテンを引いてしまおうと考え、明りも、…

佇む人

部屋の空気がムッとする。左半分を網戸にして換気を試みようと窓に近づくと、誰かが窓の外にしゃがみこんでいるのが見えた。不思議と恐怖は感じられず、むしろ進んで窓を開け、その人の横で同じようにしゃがみこんでみようとした。 「おじさん」 「えっ?」 …

トロッコ

トロッコに乗り込むと、ガタピシガタピシ揺れながら、暗いトンネルの中へと進んでいく。 「うわあ・・・どこに行くんだろう? すごいねえ!」 周りの人に話しかけたつもりだったが、ひとりだけでは勿体ないと思われるスペースに、在るのはただ私ひとりだった…

電車

電車で、片道1時間ぐらいかけて美術館に行くつもりだったが、7人掛けの座席の端っこに腰掛けたときには、もうその意欲を失っていた。 まあ、そのまま乗っていれば、そのうち行く気を取り戻すかもしれないし、嫌ならそのまま引き返せばいいか、特に何かの予…

カレンダー

部屋の隅っこに、わりかし大きなカレンダーが懸かっている。カレンダーの役目を果たしているのは下半分だけで、上半分にはどこかの風景写真が大胆に印刷されている。 どこか外国の、鉄道が通う郊外の風景のようだ。長閑さを直に耳元へと響かしてくる風景に、…

含み笑いもする人

この、大きなエレベーターに、私だけが唯ひとり乗っているなどということはそうそうない。しかし、その瞬間に見事に潜り込み、含み笑いする人はやってくる。 「あっ・・・」 そんなに怯えた顔で迎えないで、と言わんばかり、私の目をしかと見据えている。そ…

去る

「お久しぶり」 おどけたつもりで丁寧な挨拶を施すと、その人は、なにか私の顔に焦点が合わせられないというような表情をしていた。 ほら、あのときの、あすこに行ったときは、あんなことがありましたね、などと話を並べると、その人は、 「ああ・・・」 と…

活気が満ちる前後

遅刻することがひとつの癖のようになっていたのが部活動に励んでいたころのことだから、多分、これから書かれる記憶というのは、その当時稀にしか起こらなかったこと、むしろ稀だからこそ記憶に残ったことなのかもしれない。 何かの手違いか、他に用事があっ…

含み笑いする人

誰だかは知らない。初めて会ったのは階段だった。 「おはようございます」 挨拶を交わすと、その人はしばらく含み笑いをしていた。馬鹿にしているようでも、おかしさをこらえているようでもなかった。 その後も何度か、その人とは階段で会った。含み笑いの前…

豆腐屋

1番古い記憶は何か。私の頭にある断片的な記憶の数々、それを次から次へと口に出して、傍で聞いている親に順序を確認してもらったところ、それはおそらく、というより確実に、 「豆腐屋」 の記憶であるという結論に至った。 3歳ごろ、祖母に連れられて行っ…

上から見ると、よく分かる

放課後、本来なら参加しているはずの部活を、教室の窓から眺めていた。今日の面談は進路に関する事らしい。同席する予定の親を待つ間、先生とともに教室で時間を潰す。 「早く戻りたいか?」 「そうですね・・・」 私の返答に対し、何とも言えない笑みを湛え…

鏡の前に立つ。よくよく自身の顔を見つめてみると、普段とは少し様子の違っていることが分かる。確かに私の顔には違いないのだが、それでもハッキリと、閉じている顔貌との類似を示す方向へと変化しているのが窺える。 だが、別段驚かなかった。こういうこと…

点滅

眠気も大してひどくなく、半ば休憩するような心持ちで布団に入った。枕元にあったラジオの電源を入れ、チャンネルを合わす。今日は、やけにパーソナリティの声が遠く、話も途切れ途切れにしか伝わってこない。 「眠くないとはいえ、億劫だなあ・・・」 むろ…

今も気づいていない

同級生と肩を抱き合い、オンオン泣きながら別れを惜しむ人たちを横目に、証書の入った筒を慰みにいじりながら、なかなか終わらない卒業式の時間を潰していた。 卒業式はこのときが初めてではなかったから、この日を境に、ここに集合している人たちがまた一堂…

転校生のA君

「ほら見てこのカード、良いでしょ?」 「わあ・・・良いなあ・・・」 小学校の授業を終えたあと、気づいたときにはA君の家でふたりで遊んでいた。 きっと、連れ去られた訳ではないのだろうから、どちらかが、 「遊ぼう」 と言って誘ったのだろう。だが私の…

花の群がりに、ひとつの美しい種が見留められる。 「あれを摘んで、私のもとへ置いておいたらどんなに良いだろうか」 と摘まんだその瞬間、花がまとっていた美しさが、ぱらぱらと剥がれ落ちていく。 驚いて、元あった場所へスッと手を近づけ、花を紛れ込まし…

振り子の切り絵師

「このように、いつも身体を左右に揺らしながら切る癖をつけていたら、それが抜けなくなってしまいました」 温泉施設に隣接する、宴会場のようなところで起きた一幕であった。その挙動の怪しさから、幼な心にも、 「あっ、あまり近づいてはいけない人が来た…

それでもう充分なのかもしれない

別に、忘れてしまった訳ではないが、ただなんとなく頭の片隅にあるだけで、しばらくの間、ボンヤリとしか意識に浮かんでこなかった人がいる。 そんな人をあるとき、くっきりと思い出した。細かい、他愛のないかつての日常の風景が、明確にその人とともに思い…

その男は、彼のうちにぽっかりと空いている穴から拡がっていく光景を、とても豊かだと捉える事は出来なかった。そんなの嘘だ、第一所詮は君の中だけに拡がっている穴なのであって、そこでどんな豊かさを展開していようが、地球を見ろ、宇宙を見ろ、それに比…

大きな壺のなかに、渦が巻いている。円を描いた中心に、球状の物体をポトリと落としてみる。 渦に、何の変化も起きたようには思われない。ただ、しばらく見ていると、心なしか渦巻く速度が少しだけ上がったように思われてくる。 球状の物体は何処へ行ったの…

キャンプ場にて

「じゃ、お金払ってくるから、ちょっとここで待ってて」 言い残すと親は足早に、受付のあるロッジへと向かっていった。 ぽつんと開けた広場のような所に取り残された私は、同じような年頃の子どもたちが集まって、近くでバレーボールをやっているのをそこに…