2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「とりあえず」という認識

昨日、正しくない判断を修正する段に至ったときに、意味が邪魔になるのではないか、ということを書いたのですが、それにもうひとつ、 「とりあえず」 という認識が欠けていると、修正速度は落ちてしまうのだろうなということを思いました。 つまり、『数の多…

根本に虚無を据えるのは悲観ではなく・・・

人によって捉え方は異なるかと思いますが、 「この世の中も、人間も、存在すること自体には何の意味もない」 という言説に触れたとき、私の場合は、絶望してしまうのではなく、むしろ物凄く安心するんです。実際のところ、この世に意味があるのかそれともな…

理屈に対して過度な信頼を寄せるのは危ない

家族と話を、あるいは議論をしていて、その時に私が、 「これはAだから、これこれこうなってBでしょ」 と理屈を言っているのに、それに対して、 「でもそれはイヤ」 であるとか、 「そんなこと聞きたくない」 というように、感情でもって返事をされると心底…

嘲笑それ自体が、あまり気分の良いものではない

自らの趣味嗜好があって、それらを楽しむことに、非常に満足を覚えているのは確かなのだけれども、ひとたびその趣味嗜好を他人に嘲笑されると、何だか自分でもその趣味嗜好を持っていることについて自信が無くなってしまい、 「こんな風に思うってことは、も…

傾いていくことは、基本的に楽しい

何か、物事に熱中している様を、 「傾倒する」 などと言いますね。傾き、倒れていくことを、熱中の例えとして使ったのは非常に上手いなあと思うのですが、というのも、何でも良いのですが、個人の思想や主義主張、世界観などに関しても、特定の方向に傾いて…

私にとって一番大事な仕事

通常、世の中で行われている「職業としての仕事」ではなく、私の人生においての「根源的テーマたる仕事」についての話、思いを書きたいと思います。 その「仕事」は二つあって、一つは、 「自分の子どもを持たない」 ということです。これは以前にも言及した…

買ったのもダサいが、捨てるのはもっとダサい

以前に書いた、『恥ずかしいのを、取り繕ってしまう』にそのまま繋がる話なのですが、たまに、何の気の迷いか、自分で自分に驚くくらいに、ものすごく安易な本を買ってしまうことがあるのです。例えば、 「英語が一週間で話せるようになる云々~」 といった…

発狂は、どこかぎこちなく映る

人間には与えられた使命などなく、やらなければならないこともない。そして、人間は何がしかの物語を形成したがるけれども、実際のところ、命が私のところまで脈々と受け継がれてきたのもただの偶然でしかなく、その後、私が先祖と同じように生命を繋ぐか、…

気分のリズムと一体になっている

以前、『「元気を出して」という励まし方は危ないのでは?』の中で、気分のリズムに逆らうと疲れるから、落ち込んでいるときは、落ち込んでいる気分の只中にありながら、その落ち込みを放っておけば良い、というようなことを書いたのですが、なんでわざわざ…

小学生が抱えている悩みを大人が抱えていないからといって、大人が偉い訳ではない

昔はあんなに悩んでいたことなのに、時が経つとそれが全く悩みでもなんでもなくなると言いますか、 「なんであんなことで悩んでいたんだろう・・・」 と思うようになって、例えば、小学生の時に抱えていた悩みなど、大人になってみれば本当にたいしたことな…

そこまでドライに判定できるのか

芸能人でも政治家でも誰でも良いのですが、その人に、いわゆる「黒い部分」が見られたときに(灰色と言っても良いですが)、それを潔癖的に嫌がり、一気にその人をその世界から排除しようという気運が高まることがあります。それを受けて、確かにそういう良…

効果的なトレーニング以外は全て無駄だったという錯覚

筋トレをしているとよく、陥ってしまう考え方があるのですが、例えば、新しい筋トレ法を自身のメニューに導入したとき、それなりの手応えがあった場合に、 「何だ、今までのトレーニングは無駄だったじゃないか。最初からこのトレーニングだけをやっていれば…

煩わしさから逃れたいという思いと密接不可分

私はよくこのブログの中で、種の保存について責めるような物言いをします。それは別に、種の保存をしてはいけないと思っている訳ではないのですが、子どもを産むという残酷さについては承知していなければならない、承知していなかったというのは許されない…

道徳や倫理観などを有難がりすぎるのは良くないのでは

学校の方で、道徳を教科にしようという話があるそうで、実際にもうその案が採用されているのか、まだ検討中であるのかはよく分かりませんが、私は、道徳だとか倫理だとかを有難がりすぎるのは良くないのではないかと思ってしまいます。 というのも、人類の歴…

たまに見せる側面が本当の姿だという錯覚はどこから来るのか

一般的に、物凄く怖いと言われている人であったり、性格が悪いと言われている人であったりが、たまに優しい側面を見せると、 「なんだ、あの人は本当は優しい人なんじゃないか」 と思ってしまったり、反対に、普段は物凄く優しい人が、時折怖い一面をのぞか…

「我慢が出来ないから掻いている」という言われ方には不満がある

小さい頃から今に至るまで、アレルギーには恒常的に苦しめられているのですが、例えば、腕が痒かったとして、思い切り掻いてしまい、その結果として皮膚がただれてしまったときに、 「何で掻くのを我慢しないんだ」 であるとか、 「掻くからいけないんだ」 …

「何でもアリ」を訓練で取り戻していく

何という番組名だったかは、ちょっと把握していないのですが、NHKの番組で、親子(確か親子でした・・・)に、各々画用紙に自由に、ぐちゃぐちゃな線だの円だのを黒ペンで描いてもらい、描き終わったらその画用紙を親子で交換し、各々相手のぐちゃぐちゃな絵…

「元気を出して」という励まし方は危ないのでは?

落ち込んでいる人に向かって、 「元気を出して」 と言って励ますというのは、よくありがちな場面だというように思いますが、私は、 「元気を出して」 という励まし方は、非常に危ないものだというように思います。 何故なら、落ち込んでいて元気もないのに、…

報道は、権力を持った人間の、ただの個人的な意見表明にすぎない

報道内容について批判する人々ならびに、報道に携わる人々が、 「報道機関として責任を持ち、使命感を持って、世の中に事実を伝えていく・・・」 ということなどに言及しているのを聞くと、私なぞは、違和感を覚えてしまいます。 何故というに、私は、報道の…

自戒の念が込められている言葉

誰でも、著名人や偉人と呼ばれる人達の言葉に感銘を受けたことがあると思います。その言葉に感銘を受けたからといって、即、自らの人生に適用できるかどうかは、また別の話ですが(笑)、とりあえずは非常に、何と言いますか、そういった人たちの言葉に触れ…

種の保存だって生命の道理じゃないか・・・

以前、『生死の問題は、元々意思の外にあったはずだが・・・』というものの中で、生きるとか死ぬとかいう問題は、人間の意思には関係の無いものであるということを書きました。なので、自死を選択するというのは、「生命の道理」に反するのではないかと思っ…

お金を持ってやりたかったことが誇示的消費なのか・・・

私は、あまりお金持ちになりたいという欲望、野望がないのですが、それは、沢山稼いでいる人に悪い印象を持っているとかではなくて、ただ単に、私がお金を持て余すだろう、という考えに基づいています。一杯お金をもらっても、大量に本を買い込むぐらいしか…

どうして、批判を見てはいけないのか?

タモリさんは、ほぼ日刊イトイ新聞の記事の中で、 「俺、人の評価とか読まない」*1 と語っています。テレビなどでも、ネットの評価は絶対に見ないというのを公言しているところを何度か見かけたことがあります。曰く、批判を見ていたり、気にしていたりする…

「勝手に産んだんじゃないか」と怒ってもしょうがない

怒りは当然あって、怒っても良いんだけれども、 「う~ん、しょうがない」 と思って進むほかないなということが、結構世の中にはあると思います。 何だか、人間が万能になったかのような勘違いをして、 「しょうがなさ」 を受け容れることを、極端に嫌がるよ…

利己的とは言うが、己の利を図れない人間が他者に貢献できるのか

利己的な人間、俗に言う、 「ジコチュー」 などもこの類に含まれるかもしれませんが、あまり良い印象を持たれない表現であると言えるでしょう。 どちらかと言えば、「利他の精神」の方が、世間では喜ばれる表現なのではないでしょうか。しかし私はこの、「利…

動物的評価を望んでいるし、望んでいない

どちらも本当の気持ちなのだけれども、お互いに矛盾していて面白いなあと思うことがあるのですが、それは、 「オスとしての評価を望んでいるし、評価を受けると嬉しいのだけれども、その反面、オスとして評価されることに対する嫌悪感、恥ずかしさみたいなも…

良い夢を見た後に・・・

何かしらの良い夢を見た後、ハッと目が覚めて、 「何だ、夢だったのか・・・」 とガッカリすることが今までによくあったんですが、よくよく考えてみると、特別ガッカリする必要もなく、良い夢を見たのだったらむしろ、喜んでいいんじゃないかと思うようにな…

ごまかしは本当に必要だろうか?~『幸福とは』の続きとして~

以前、『幸福とは』という文の中で、「幸福」というのは、 「根源的な虚無、絶望を一時的に忘れた状態のこと」 と書きまして、しかしながら「幸福」は、虚無の一時的な忘却と言えども、発狂しないためには必要なものであるということを書いて、結んだと思う…