執念てのは、自分でもよく見えない。
普段は特に見えない。
だから、執念なんて私にはひとかけらもないんじゃないか。
なんて思ったりもする。
今日、ちょっと仕事から帰ってきて、相当眠かったので、軽く仮眠した。
タイマーをセットして、20分ぐらい。
まだ、文章は書いていなかったし、上げてもいなかった。
寝始めて、10分ぐらいで、冷や汗をかきながら、飛び起きた。
今日まだ、何も書いてない。
もしこのまま、ずっと眠ってしまったら・・・。
最近、スランプだと思うことが多い。
もう、なんとなく飽きたとか、身が入らないとか、そういうこと。
自分は別に、こんなことに興味を持っていないし、やる気もないんじゃないかって。
そういう思いが、間違いであるってのが分かる出来事は、非常時の一瞬にしか起こらない。
自分の、底の底の執念が、おそろしく強いってことは、普段自分自身ですら全く見えていない。
そういう出来事にぶつかったとき、人間という器の、底の深さを想う。
普段は、こういうことに、こういうことってのは書くことに、命を懸けたという言葉の意味が、全く見えていない。
命なんて、全く懸かっていないし、お前は大袈裟な馬鹿者だよ、というふうにすら感じる。
しかし、底の底のどん詰まりまできたとき、初めて。
ああ、俺は本当にこの作業と心中しようとしているんだな、ということに気がつく。
こうやって書き残しているけど、多分寝て起きたらまた、それら非常時の心はまったく忘れた「普通っぽい」人間に戻る。
外部からよくもらう「仏のよう」「穏やか」という私のイメージと。
私の内界の様相とは、普段は上手く一致する。
確かに、内界は全くの凪で。
何も目立ったものはない。
ただ、忘れた頃に、とんでもない悪魔的、怪物的なエネルギーが、自身の内部に吹き荒れて。
ああ、そうだった、私にはこれがあった。
仏でも、穏やかでも何でもない化物だったことを、久しぶりに思い出す。
そういうルーティンというか、巡りで生きている。
底の底の執念や、悪魔的なエネルギーは、私でありながら、私を超えている。
だから、そこから力をもらうこともできるけど、それに完璧に翻弄されもする。
なすすべがない。
それが去ると、私はまた、穏やか一辺倒で、仏のようだ。
確かに、周りから言われる通り、私はそういう人間なんじゃないか、と思えたりもする。
山本陽子さん!
また呼び掛けてしまった。
私はあなたに比べて、より俗にまみれていますので。
私のこの執念を、最後まで貫き通すためなら。
貫き通すために、コミュニティ内に居ることが必要なら。
私は、社会に居るつもりがありますという、あらゆる嘘をつく用意があります。
それまでは本音だけで生きていこうとしていたんですが。
あまりにそれはピュア過ぎました。
私は平気で、付き合っている人がいるし付き合いたいし。
結婚も考えて動いています、という嘘を。
今度から平気でつこうと思います。
自分の本音を通して、居られずに倒れるより。
自分の執念を通すことを取ります。
私は、純粋さを捨てることに対する恥は感じますが。
それよりも、通したい我があります。
山本陽子さん!
存在しないものとしての連帯に。
私はもう混ぜてはもらえないかもしれないほど堕落しましたが。
私はこの執念、大きな欲望を通すためなら、何でもします。
1日先へ行くほど、人生をやるのが上手くなり。
化物への道も、1歩深くなっていきます。
時々とてもこわいですが、恵まれています。