WBCが閉幕した。
イチローさんは引退の日、彼は世界一の選手にならなきゃいけないと言った。
そのメッセージに、WBCという最高の舞台で、これ以上ないシナリオで、これ以上ない結果で応えてみせた大谷選手は、間違いなく世界一の選手になった。
メキシコの監督は、アメリカの監督は、野球界が勝利したと言った。
野球界は、一体何に勝利したのか。
この、どこにも光の見えない、真っ暗な現実世界に、なお、人の力で、野球の力で、これだけ大きな光をもたらすことが出来る。それを各国の選手たちが証明して見せた。
そういう勝利だったと、私は個人的に思う。
現実世界に、これだけ大きな光が差し込んだ日を、私は他に知らない。
さて、タイトルであるが、今回のWBCで私が一番ハッとした言葉、印象に残った言葉がこれである。
大会の打点王に輝いた、吉田正尚選手の言葉だ。
172cmと、野球選手としては小柄な体で、子どもたちにも夢を与えたという、割とよくある話なのだが、何故そんなに印象に残ったかというと、
「人間は具体物である」
という、よく考えるまでもなく当たり前のことを、最近はよく意識するからなのだ。
私は静かに、地に足を着けて物事を進める力が自分に備わっていることを信じているし、それで普段は大丈夫なのだが、時々、
「こんなことではどこにも辿り着けないのではないのだろうか・・・」
と思って無性に不安になり、焦りに支配され、どうしようもない気分になるときがある。
そして、最中には気がつかないのだが、そんな気分になるときには決まって、
「自分ではない誰かになろうとしている」
か、
「今日の一日でどこまでも先へ行こうとしている」
ときだということが段々と分かってきた。
体というものの速度、具体性を全く無視しているときに大きな不安が襲ってきていたのだ。
そんな私にとって、
「自分の体のことを知ること」
という吉田選手の言葉は、小さくてもプロの選手になれることがある、という以上の意味を持った。
自分の体のことを知ること、それは、自分がどんな時間の流れのなかにいるかを知り、速度を知り、そのなかで出来ることを確認し、確認が出来たらそれを着実に進める。そして進められているのならそれ以上は求めず、静かに道を歩む。そういうことを意味する言葉として響いたのだ。
自分の体の機能、持っているもの、持っていないもの、具体性、それを見極め続けるという歩みを、私もまた私の道の上で続けていきたいと思った。