<2479>「自分の体のことを知ること」

 WBCが閉幕した。

 

 イチローさんは引退の日、彼は世界一の選手にならなきゃいけないと言った。

dot.asahi.com

 

 そのメッセージに、WBCという最高の舞台で、これ以上ないシナリオで、これ以上ない結果で応えてみせた大谷選手は、間違いなく世界一の選手になった。

 

 メキシコの監督は、アメリカの監督は、野球界が勝利したと言った。

www.sankei.com

news.yahoo.co.jp

 

 野球界は、一体何に勝利したのか。

 この、どこにも光の見えない、真っ暗な現実世界に、なお、人の力で、野球の力で、これだけ大きな光をもたらすことが出来る。それを各国の選手たちが証明して見せた。

 そういう勝利だったと、私は個人的に思う。

 現実世界に、これだけ大きな光が差し込んだ日を、私は他に知らない。

 

 

 さて、タイトルであるが、今回のWBCで私が一番ハッとした言葉、印象に残った言葉がこれである。

news.yahoo.co.jp

 大会の打点王に輝いた、吉田正尚選手の言葉だ。

 172cmと、野球選手としては小柄な体で、子どもたちにも夢を与えたという、割とよくある話なのだが、何故そんなに印象に残ったかというと、

「人間は具体物である」

という、よく考えるまでもなく当たり前のことを、最近はよく意識するからなのだ。

 

 私は静かに、地に足を着けて物事を進める力が自分に備わっていることを信じているし、それで普段は大丈夫なのだが、時々、

「こんなことではどこにも辿り着けないのではないのだろうか・・・」

と思って無性に不安になり、焦りに支配され、どうしようもない気分になるときがある。

 そして、最中には気がつかないのだが、そんな気分になるときには決まって、

「自分ではない誰かになろうとしている」

か、

「今日の一日でどこまでも先へ行こうとしている」

ときだということが段々と分かってきた。

 体というものの速度、具体性を全く無視しているときに大きな不安が襲ってきていたのだ。

 

 そんな私にとって、

「自分の体のことを知ること」

という吉田選手の言葉は、小さくてもプロの選手になれることがある、という以上の意味を持った。

 

 自分の体のことを知ること、それは、自分がどんな時間の流れのなかにいるかを知り、速度を知り、そのなかで出来ることを確認し、確認が出来たらそれを着実に進める。そして進められているのならそれ以上は求めず、静かに道を歩む。そういうことを意味する言葉として響いたのだ。

 

 自分の体の機能、持っているもの、持っていないもの、具体性、それを見極め続けるという歩みを、私もまた私の道の上で続けていきたいと思った。

 

<2478>「残余に火、溶けて私は居る」

 長いヒにあたり、

 身体をカえ、

 いまあたしはこのさわがしさへ、、

 なにとなくまっすぐ、、

 なにとなくその欲望で、

 入っていく、、

 あたしはよそを見、、

 身体は振るだけ、

 激しく揺れるものごとのなかへ、

 身体は、振っていくだけ、、

 そのいちいちを掴まえて、今は、、

 全てが身体になる、

 全ては液に、、

 流れ、流れて、、

 今わたしは・・・

 

 今わたしは、

 ひとつの粒で、

 身体でもなんでもない、、

 無自で、、

 浮かびでもない、、

 ただ、

 堆積する場所へ、、

 石の静かさで、いるだけだ、、

 ここは随分遠いのだとあなたはそう思うだろうか、、

 私の中で生まれたのだと言わんばかり、

 あなたはそう思うだろうか、、

 あなたも太陽の一端ではあり、、

 その波の中へ消えていくものとも言え、、

 ひとは、かかわり、、

 ふたつの信号の中で揺れ、、

 それが次第にぼやけ、、

 私はまた駆ける、、

 短い時間のために、、

 また次々と駆けている、、

 誰がこの空間に生まれて、

 私を巻き、

 あなたを巻き、、

 あなたはここで見ている、、

 見ているもののなかへ入って、見ている、、

 存在の膨らみ、

 存在の零時、

 振幅、、

 もののなかにあたりながら溶けて夢だ、、

 夢なら流れてひとつの残留物だ、

 残留物ならうごめきだ、

 うごめきならまたこれは小さく確かな炎だ、、

 

 私は見る、、

 見ているものとの接触が、

 私も生む、、

 生まれたら流れる、、

 水の中でまた捨てる、また流れて、

 また生まれる、、

 ひとつの手に違いがないものが、

 見るものの、無表情を持って・・・

<2477>「点や時刻に加わり、存在しない」

 長い時間にさらされている身体はヒの意識を持ち、

 私はまた点、

 身体に点、、

 回転の速度と、

 私はまた点、

 私はまた考慮、、

 私はまた複数の時間、、

 それは宙に浮かび、

 複数の方向、、

 複数の生まれかた、、

 私はここに居た、

 移動をひとつ、心得ていた、、

 あなたはこの時刻へ来て、

 柔らかくあった、、

 身体があった、

 ものが存在の、

 存在の中で発火し、

 見事に光る、

 あなたはその中心時にいる、、

 

 私は身体の中の火を、、

 無感で眺める、

 のち、

 延長のことを考える、、

 そののびる線の姿のことを考える、、

 どこまで行くのか、

 そして態度のことを考える、、

 そこにそえる気持ちのことを考える、、

 具体的な取り組みについて考える、

 複数の線が、

 のびてきては、、

 ここで溶けて、

 あなたは音を立てて混ぜる、、

 また混ぜる、

 また混ぜる、、

 そんなに複数で、

 一体どうするというのだろう、、

 どうだというのだろう、、

 身体を毎日使え、

 何を言っているのだ、、

 私は生きているのだぞ、と思った、

 しかし身体を毎日使え、

 というその音声が、

 私には分かり始めていた、、

 

 その延長線ののびる場所に、、

 あなたは当たり前のようにして、住んでいる、、

 あなたはこの時刻に生まれたがっていた、

 あまりにもまっすぐな欲望により、、

 私は分からない、

 私は、と言えば、

 おかしいな、

 私は存在しないはずなのに、

 なぜだろうな、、

 私は無感の底にいた、、

 身体は時刻へ加わっている・・・

<2476>「取り、身体のなかへ」

 もののなか、

 これは、列の、、

 またたくわる、

 また身体のそばに来る、、

 またはじまる、

 私は速度を気にする、

 身体を気にする、、

 少しずつ流れて、

 いまやもうその隙間に、

 新しく出てきているもの、、

 存在が、

 長く映るもの、、

 あたしなかに、

 なかに始まる、、

 そこで手をしてみて、

 手を、、

 

 あなたが始まっているところを、、

 そっと見ていた、、

 これが順の身体なのか、

 どうなのかと、、

 ひとりでききながら、、

 私は縦に入る、

 身体の線だけは縦に入る、、

 そこでひとつ盛り上がる、

 時刻へすべる、、

 なにやかや、

 あなたは見て、、

 こちらに動いている、、

 どうしたものか、

 これだけの勢いをもち、、

 身体はここで、

 どうしたものか、

 と一言している、、

 私はすなおになり、

 身体を支える、、

 はっきりとした映像の、、

 なかへ、

 静かに潜っていく、

 

 あなたは現象を確かめる、、

 この場所にいたまま、

 その動きがたくみなのを、、

 そのまま確かめる、

 確かにわたしはこの回転のなかにいて、、

 あなたに合わさるのでしたが、、

 私はどこから出たらいいか、

 まるで分からない、、

 取るものは取り、

 流れるものは流れ、、

 身体が芯に集まる、

 わたしのなかに入れ、と、

 号令し、、

 身体の中心に集まる、、

 なにからだ、

 なにから、どこからだ・・・

<2475>「このはのまにままでまぎる」

 お前はそのヒのなかにあって、

 いくらも駆けて、

 ここを移る、、

 なに、

 どこからあたたまり、、

 その話は開始する、

 私は先を見ていた、、

 身体の粒は活動を多くする、、

 活動を多くすれば、

 長い時間見えていることになり、

 生まれて含まれていることになり、

 少し愉快でもある、、

 愉快でもあるところ、

 身体でもあるところ、、

 あなたが参じる、

 参じる、

 あなたが参じる、、

 

 この粒の端に沈黙を、、

 あなたは沈黙を、

 私は沈黙を、見留め、

 皆で過ごす、、

 なにか掛けてみたらいいのかな、、

 そんなことはない、

 私はもう少し曖昧になった、

 出来うるだけ、この場所にいて、

 線も、

 光も、、

 少し分からないようになって、、

 私は生まれたままの場所を、、

 ひとりで静かに眺めていた、

 あなたも一度見ておく必要がある、、

 この小さい場所を、、

 あまりに小さすぎる場所を、、

 あなたは光になって揺れている、、

 そう言う、、

 身体はきっとどこかでそれに応えている、

 あなたは知る、、

 あなたはまぎる、、

 このはにまぎる、、

 このはのまにままでまぎる、、

 

 揺らぐヒの緒、、

 緒のなかの水、

 水のなかの一時、

 一時のなかの涙、

 涙のなかの沈黙、

 沈黙のなかに含まれた鐘、の、、

 この揺らぎのなかへ、

 私は声を伸ばす、、

 なにや、

 はじまってしまい、、

 うたいはここへいてしまい、、

 ほほはここへ踊ってしまい、

 なにか、見る、、

 しらないままの姿のもののように・・・

<2474>「しつこさという毒を」

 小学生くらいの頃だっただろうか。

 家族で田舎に帰省して、祖父母の家で、妹と一緒に遊んでいたときだったと思う。

 遊びの最中、何が気に食わなかったのか、そもそも何か気に食わぬことがあったかも今は定かではないのだが、妹に対して、

「それはどうしてなんだ」

と夢中で問い質し続ける私が居た。

 それがあまりに執拗だったのか、台所で祖母の手伝いをしていた母親が、止めに入った。

 

 私は何故、それから何を止められたのかが分からなかった。

 しばらく経って、祖母がいない局面に移ってから、改めて母親に叱られた。

 あのしつこさは相当なものだったと。祖母も私のあまりのしつこさにうんざりしていたよと。

 

 そこで私は、自分がしつこいこと、そしてしつこいことは人をうんざりさせるほど良くないことなのだと初めて知った。

 

 私は祖父という立場に立たされたことがないからよく分からないが、孫というのは手放しで可愛いものなのだとはよく聞いていた。その孫を見て私の祖母は心底うんざりしていたのだそうだから、しつこさは相当なものであったのだろう。

 

 これは無自覚のうちに私のなかに備わっていた、あるいは育まれてきた、一種の毒だ。

 

 それが毒であることを自覚した私は、時々失敗してしまうことはあっても、基本的に人に対してしつこさを発揮しないよう注意することが出来るようになった。

 

 しかし、無自覚のうちに元々持っていた、このしつこさという毒が、綺麗さっぱり消えてなくなってしまった訳ではないだろう。

 私はこのしつこさをどうしてしまっただろうか、と考えてみるに、それは勉強の形で解消されているのではないかと思い始めた。

 

 私は勉強が好きだ。もっと言うと、誰からも干渉されず、自分で計画を立て、その計画に沿って何かに黙々と打ち込んでいくのが好きだ。

 好きだからといって、何でもかんでも目から鼻へ抜けるように理解出来る訳ではない。

 必然的に、何度も何度も同じところへ戻ることになる。

 しかし本は、問題集は、何度も何度も同じところへ戻ってきて、何度も何度も分からないと言って跳ね飛ばされては、また何度も何度も戻ってくる、という経過を辿る私に対して、全くうんざりした顔をしない。うんざりした顔をしないどころか、全く何にも効果がないような、涼しい顔をしている。

 ああ、よく考えてみるまでは気がつかなかったけど、私はしつこさを発揮する場所を静かに見つけていたんだ、と思った。

 そこではしつこさも、毒にはならない。

 毒にはならないどころか学問は、そういう私のしつこさを丸ごと包み込んでまだまだ全然余裕そうである。そうしてごくたまに私のしつこさに対して応えてくれる茶目っ気もある。

 勉強することで、以前の自分よりも理解が進んでいることが理想で、もちろんそのためにこそ勉強をしているのだが、しつこさを発揮する先として、勉強という行為が存在してくれているだけでも大分有り難いことなのだなとこの頃は思うようになった。

<2473>「どこから来た眠り」

 私がそこを見ている、、

 どうしても見ていて、

 果たしてどこに行くんだろう、、

 こんな流れで、

 どこに行くんだろうと思います、

 集めて、

 ジニチを集めて、

 身体は前に進む、、

 あたしは順にきこえて、

 ものが見える、

 ものが遠くから見える、、

 いまにまじる、

 それぞれの身体に、

 うん、どこ、

 どこから来たの、、

 私は声を絞る、

 どこから来たかは分からない、

 

 ゆっくりと回転していくヒにあわせて、

 あなたは集まり、

 あなたはまぶされ、、

 時間のなかで眠りはじめると、

 驚いたな、

 どこからこのさわぎは持ち込まれて来て、

 私も一緒に始まっていたんだ、

 不明だ、

 これはどこまでも不明だ、、

 あなたが映る先、、

 私がどこかへひろがる先、

 身体のいちいちが見えて、、

 あなたは訊ねる、

 この回転はどこですか、

 どこなのですか、

 どこにあたりますかと、、

 私は指を差し、

 あなたは仰天する、、

 私は少し笑い、

 あなたは少し休む、、

 これほどのヒのはだけ、

 これほどのヒの温度、、

 あたしは少し眠りたい、、

 私は少し眠りたい、、

 

 私は少しステップをして、

 この領域に出た、、

 訳が分からないまま、

 ここの物事の先へ、、

 そうしてヒを過ごす、、

 身体を投げ出す、、

 地面のなかへいくらも溶けていってしまう、、

 あたしはそれを見ている、、

 思うままにふくらみ、

 あたしの方へ、

 静かに流れてくるものごと、、

 身体の方へ、

 きこえてくる物事・・・